楽しく実りある人生を共に歩もう

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つらいけれど命あってこそのリハビリ

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つらいけれど命あってこそのリハビリ

今から4年前の冬に、私の知人にあたる男性が交通事故で生死を彷徨いました。
社会人1年目の彼は、仕事帰りに大型バイクの単独事故で意識不明の重傷を負いましたが、通りがかりの方の通報で救急車が呼ばれて救急搬送されました。
まずこの時に人に気づかれなかったら彼の命は無かったでしょう。

救急病院へ搬送されましたが、数日が山だと言われ、ご両親や私たちも覚悟をしなければという状態でした。
その後命はとりとめましたが意識は戻らず、集中治療室での入院が続きました。
私たちも面会はできず、千羽鶴を届けることしかできませんでした。

3週間ほどして体は反応を示すようになりましたが、意識は戻りません。
医師からは外からの刺激を続ける方が良いと言われ、面会できるご両親はできるだけ手足を摩ったり、録音した声を聞かせるなどしていました。

1か月を過ぎた頃に少しづつ反応が大きくなり、こちらの呼びかけが聞こえているような表情が出てきました。
まだ面会者の認識は出来ていないようでしたが、ご両親を励ます意味でも短時間のお見舞いなどをしました。

事故から2か月以上たってからようやくリハビリが始まりました。
まずは体に刺激を与える程度のもので、本人もすぐに疲れるので、本当に少しづつでした。
食事も流動食から1口づつ呑み込めるようになっていきました。
その時は周囲も大変喜んだのですが、それからが長い道のりです。

ベッドから起き上がれるようになり、座って車いすで廊下や中庭を散歩して周囲からの刺激を増やしていきましたが、本人の表情などの反応も大きくはないため、看護している家族の気持ちが明るくなるほどではありませんでした。
仕事を抱えながらの看護は大変なようでしたが、やはり家族が一番ということで、私たちがかかわれることはあまりありませんでした。
せめて看護中のご両親の気持ちをほぐすためにたまに食事を共にしたりしました。

事故から半年くらいしてリハビリに力を入れようということで転院されましたが、なかなかリハビリ専門の病院は空きが無く、第2希望の病院へ転院しました。
それでもこれまでの病院と違い、専門の理学療法士とメニューをこなすことで、目に見えて回復してきました。
杖を突いて立つ、歩行器を使って歩くなどができるようになってきました。

その後結構順調に回復していたのですが、体のためには温泉治療のできる病院へ移るのが良いということで、温泉地の病院へ転院しました。
もちろん体の機能には良いのですが、大変な面も多いです。
ご両親が週末ごとに行かれるのですが、自宅から片道2時間近くかかってしまいますので、私たちもなかなか出向けないのです。

そしてその他には、その病院が寝たきり等の高齢者の受け入れが多いために、訓練中以外は入院患者同士でのコミュニケーションがあまりないというのです。
そこで月に2回ほど車で実家へ連れて帰り、外泊というスタイルにしました。
そうするとやはり家族での会話が増え、言葉の刺激になるそうです。

また、これまでは少しでも早い回復を願うあまりに、特にお父さんは厳しい言葉を掛けがちだったようです。
そこで私たちは余計なお世話かもしれないけれど、本人が一番大変なはずなので、少しでも何かできたら喜んで、できない時にはぐっと我慢で見守ってはと提案しました。

そこでお父さんが態度を変えられると、息子さんの表情や行動が変わってきたのです。
出来なくても文句は言われず、何かうまくいけば喜ばれるということで、やる気が出てきたようです。
まだまだ社会復帰は先ですが、着実に回復している彼の今後を私も見守りたいと思います。



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