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裁判員の意味が問われる

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裁判員の意味が問われる

裁判員裁判の制度が始まって9年たちますが、その辞退率が66%という非常に高い数字に達しているというニュースが報じられています。

この制度は、司法関係者の中だけではどうしても考えが凝り固まってしまうのを国民目線を判決に取り入れることで新しい風を吹き込もうという、そういう考えを持って制度として始まったのですが、いったい何がこの低い関心を遥かに通り越して国民に強い「忌避感」まで抱かせている原因になっているのでしょうか。

まず第一に裁判員に選ばれ、それに参加する事自体の負担があります。
まず日当は最大8000円で交通費、場合によっては宿泊費も払われると言いますがあくまでも最大でその金額ですし、しかも給与報酬扱いではないので雑所得として場合によっては全くやったこともない確定申告をする羽目になります。

拘束期間も一週間以内と言われていますが裁判の流れ次第なので安定しません。
さらに裁判員には専門家でもないのに強い守秘義務が課せられ、破ると50万円以下の罰金があります。

そして上司には裁判員に選ばれたことだけは報告していいなどとなっていますが、それが通る会社ばかりならブラック企業などと言う言葉は生まれていません。

これらは全て制度が議論されている時点で言われていた事なのですが、何一つ解消されていないと言えます。

第二に、裁判員として裁判に参加するリスクです。
なんと裁判員は雀の涙程の日当しか与えられていないのに、顔を晒して裁判に出ないといけません。

暴力団による組織的犯罪の裁判でももちろんそうで、実際暴力団員が裁判員に「あんたらの顔覚えとるけんね」などと声を掛けられ脅されたという事件も発生しています。

これは声を掛けただけなのでまだいい方で、被告人の関係者が裁判員を逆恨みしてどんな行為に及ぶか分かったものではありません。

第三に、徒労感があります。
あそこまでの鳴り物入りで始まり、司法側も裁判員も多大な労力を払い行われている裁判員裁判ですが第一審のみでしか行われません。

ここで仮に従来の司法の判断とは違う国民目線の判断が下されたとしても、控訴審以上ではやはり今までと違いのない結果になってしまうことが多いです。

これでは「一体何のためにこんな苦労をしなきゃいけないの?」と思われても仕方ありません。

長い時が経てばこの国民目線の判断もだんだんと裁判に影響を与えていくのかも知れません。

が、自分が頭を悩ませた判断にハナクソを付けられて捨てられるような所業をされては大体の人が短気になるというものです。

10年を控え未だ問題点ばかりの制度ですが、これからどうアップデートしていくべきなのでしょうか?

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