その日暮らしでした

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その日暮らしでした

東京に来たばかりの頃、仕事が見つからなくて、貧乏のどん底でした。
当座しのぎに日払いの警備員のバイトを始めたのですが、女の身で小柄な為、身体に合わない装備を抱えての勤務はつらかったです。ヘルメットも重いのに一日中かぶる、日中たちっぱなし、トイレはない、あっても簡易トイレで手を洗うところがない。皆さんどうしているのと聞きましたら笑いながら去っていかれました(男性方)
 さすがに自分は手を洗わない、なんて耐えられなかったのでその時は持っていた出納のお茶(熱い)で耐えながら洗った記憶があります。お水を買う余裕もなかったです。

 疲れ果て、家に帰るまでもたなくて、スーパーのイスで数時間休憩してから帰ることも多かったです。この時にすごく顔のしみが増えてしまったような気がします。
 食べ物も、あんまり買えなかったので、白菜1玉で一ヶ月すごす、というのもよくやりました。当時はお野菜も少し安かったのでなんとかなりましたね。
 しかし、そのせいか、一時期、めまいに襲われることが多く、歩きならがら倒れそうになることもありました。今思えば栄養失調とか脱水とか起こしていたのかもしれません。貧乏なので医者にもいけません。

 その生活は3ヶ月位続いたでしょうか。何とか固定のお仕事がみつかり、日雇いから解放されました。
 良かったと思いましたが、それもまだ終わりではなかったんです。

入社した会社もアルバイトで入ったのですが、勤めているうちにある日「業績が悪いから時給を下げる」との話を従業員全員にされ、だんだんお給料がへっていきました。
 そのうち、仕事も外国へ外注に出すようになり、従業員の仕事量がへっていき、休みになっていきました。もちろん、お給料もへり、また食べられるのはお米とおかずは白菜や、キャベツのみの生活でした。お肉の変わりにきのこをメインにしたりしていました。

 ある日お米がなくなりました。
 どうしようと思っていたら、なんと同僚がお米を分けてくださいました。主婦の方が多かったせいか皆さんとっても優しかったです。

 結局その会社も仕事がなくなりその部署は解散、という形になりました。
しかし、事後処理というか少しだけやることがあったので、ゆるゆると出勤していました。失業よりはましと、通っていたのですが交通費も出なくなり、真綿でじわじわ締められるような感じでますます生活がきつくなっていきました。

 そうこうしているうちにやっと派遣のお仕事が決まり、そこをやめることができました。その派遣もすぐクビになってしまったのですが、そのあと何度か転職をしまして今やっと安定した仕事についています。

 しかし、アルバイトなんです。将来は不安ですが、社員にはなかなかなれないので現状維持しつつまだ模索している状態です。

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