貧乏な家庭で育って

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貧乏な家庭で育って

私はシングルマザーの家庭で四人兄弟姉妹の次女として育ちました。四人も子どもがいるのにシングルマザーとなった母親は周りから同情されることになれており、なにもしなくても頑張っていると思われていることに満足してしまい、実際には五人家族を守らなくてはならないというような意欲もなく、パートとして働いていたため、常に金欠状態でした。

電気が止まるのは当たり前、ろうそくが常に常備されており、食費に困ることも多々ありました。夕方になると、ご飯前に家族で散歩に出掛けるのが日課であり、雑草を拾って塩をかけて食べたり、お湯で茹でて夕飯にすることもありました。

実際にはそのような暮らしは普通だと思っていました。みんなも自分と同じように草を食べたり、電気が止まるような生活をしているのだと思っていたのです。そのような生活のなかで育っていたので、お金にはとても敏感で、物心がついたときには妹と一緒に自動販売機巡りをしていました。

自動販売機に残っているお釣りを狙ったり、下に入り込んだお金や近くの溝に入り込んで諦められた小銭を探すのが日課となっていたのです。一円もないときもあれば、五百円を見つけるときもあり、今でもその癖というのは抜けきることができていません。

小さい頃には貧乏な暮らしでも良かったのですが、年頃にはなるにつれて、貧乏な暮らしが嫌になってきました。電気が止まってしまい、宿題をろうそくの下で行わなくてはならないこと、平成の時代になったのに未だにボットントイレであること、ガスがとまり、水で体を洗ったこともしょっちゅうあります。

実は、幼い頃はシャンプーの存在を知りませんでした。自宅ではシャンプーを使って髪の毛を洗ったことがなく、いつも洗髪はお湯か水だけでした。体は石鹸で洗ったのですが、髪の毛を石鹸で洗うのは、テレビのことだけだと思っていたのです。

シャンプーを使って初めて髪の毛を洗ったのは、小学生になって、友達の家に泊まりに行った時のことだったのです。シャンプーをしたときの爽快感は今でもしっかりと覚えています。髪の毛を切るのも美容室ではなく母の五分で出来るカットで終わりです。

家に家賃の支払いや電気代の支払いを求める人が連日のように訪れていた日々を過ごしていたため、今でも私は玄関のインターホンの音が苦手です。インターホンの音を聞くと、居留守を使わなくてはと本能的に思ってしまい、息を潜める癖がついています。実家を離れた今は支払いを滞ることもないのですが、身に付いた貧乏な時のトラウマは今でも消えることはありません。

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