私の辛い人生

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私の辛い人生

私は虐待されて育ちました。

母親も祖母から体罰を受けて育ったと言っています。

そんな母も、もちろん私を虐待して育てました。

母は女の子が嫌いでした。

だから女で生まれた私より、男として生まれた弟の方が好きで溺愛してました。

私は、ただ母に甘えたかったのです。

でも母は私が甘えることを許しませんでした。

私が母とお風呂に入りたくて、駄々をこねたら突き飛ばされ、頭をトイレのドアノブに打って出血し、救急病院に行きました。

私が祖母の家に行って、祖母の家ではしゃいでいたという理由でつねられたり、祖母の家の帰り道で、知らない場所で降ろされて置いてきぼりにされそうになったりもしました。

家は貧乏で、小学校でみんなが持っているものが羨ましくて、学校での出来事を怒られるのが怖くて、学校で使っているボロイ道具やテストを捨てたりしました。

母親に殴られるのが怖くて、幼少期はずっと嘘をついてました。

しかし、嘘をついてバレるたびに、殴られ、倉庫に縄跳びの紐で私を縛り付け一晩放置したり、車の中に閉じ込めたりしました。

小学校高学年から中学生にかけてまで私は母親に髪の毛を切られていました。

周りの女の子はみんなおしゃれな服装、おしゃれな髪型なのに私だけ短く切られた髪に、時代遅れの服装で学校でいじめられ始めました。

学校でいじめられて、家では虐待され私には居場所がありませんでした。

中学時代は、学校の3階のトイレの窓からいつ飛び降りよう、死のうとずっとしていました。

私は死ねなくて、死ぬことすらできないクズだと一人で泣き続けました。

「悲しい、苦しい、辛い、死にたい。」と思っていました。

それでも親は私の不登校を許さないので、地獄のような3年間を中学校に通うことで続けました。

この中学時代が一番私の中で辛いと思います。

私が中学から高校になるにつれて身体的な虐待はなくなっていきましたが、今度はネグレクトが始まりました。

高校生になればバイトもできますが、そのバイト代を母親に没収されていました。

高校では学食を使ったり、お弁当を持ってきていたりしましたが、私は親にバイト代を没収されていたのでご飯代をもっていませんでした。

自分でお弁当を作って行ってもきっと「勝手なことするんじゃねぇ!」と殴られていたでしょう。

私は親から3食ご飯を作ってもらっていませんでした。

なので私は、父方の祖母の家に忍び込みお金を盗んでご飯代に充てていました。

私の毎日のご飯は100円で買えるスナック菓子一つでした。

それを、夕方住宅街に自転車を止めて明かりがついて晩御飯のいい匂いがするいろんな家を見ながら、1人でお菓子を食べて帰っていました。

そして、高校卒業と同時に逃げるように実家を出ました。

実家を出て、彼氏と同棲し始めた途端に、幼児退行が始まりました。

友達に産婦人科の先生がいたのですが、きっとアダルトチルドレンにだと思うと言われました。

しかし、精神科に行く勇気が出ず、「きっと私より酷い人はもっといる。その人たちが行くところだから私が行くわけにはいかない。」と心の中で思い、一度も精神科や、心療内科には通ってません。

20歳を過ぎたころ、過去を思い出そうとしても、出来事があまり思い出せなくなってきました。

おかしいなと思いながら結婚し、虐待の連鎖がとても怖かったのですが、どうしても主人の子供を産みたいと思い、決心して産みました。

最初の子は男の子でよかったのですが、二人目が女の子だったらどうしよう・・・。男の子であってほしいと思いましたが、二人目は女の子でした。

きっと虐待してしまう。

そう思いながら出産し、その女の子も4歳になります。

主人に似て明るくて社交的でめちゃくちゃ美人です。

それでも私が虐待の連鎖を食い止めることができたのは、きっと記憶のお陰だと思います。

最近分かったのですが、私は相貌失認になっていました。

幼稚園のお母さんたちの顔が覚えられない、有名人の顔がわからない、服や髪型、外見を変えられてしまうとわからない、そんな障害を脳に負ってしまいましたが、昔を思い出せないので普通の人と変わらず子育てができてるんだと思います。

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