日本語が通じない世界での生活苦労

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日本語が通じない世界での生活苦労

夫の仕事の都合で海外に転勤が決まり、数年はその国に駐在することになりました。
その時に私は自分なりにちょっとした仕事を持っていたのですが、海外ではできないのでその仕事はやめてしまいました。
子供もまだ小学生でした。
海外転勤の場合、夫が数か月先に単身赴任して、その後家族が行くことになっていました。
住んでいた家は数年空き家にするわけにいかないので、貸す手続きをしたり、乗っていた自動車は友人に買ってもらったり、自転車をもらってくれる人を探したりと、さまざまな手続きは私がひとりでやらなくてはなりませんでした。
自分の仕事を断念した上に、ひとりで何もかもしなくてはならず、夫は海外にいるので頼ることもできません。
ストレスで体調が崩れるほどでした。
子供のこともいろいろとたいへんでした。
予防接種をしたり、学校に提出する書類を作ったりしました。
初めてのことで、今のようにネットで調べられるという状況でもなかったので、不安は大きく、引っ越しの荷物も処分するもの、数年後帰国した際に使用するために倉庫に保管を依頼するものと分けます。
さらに海外に送るものは、船便で送るものと航空便で送るものに分けたりします。
当時は飼っていたペットがいたので、そのペットを一緒に連れていくための手続きもありました。
子供は初めての海外移住に不安を覚えて、幼児のころに卒業していた「おねしょ」をするほどでした。
転勤先は幸い英語の国だったので、フランス語などよりはましでしたが、それでも英会話ができるわけではなく、英語の成績もあまり良くなかったので、不安はとてつもないものでした。
いよいよ子供とペットと一緒に飛行機に乗り込み、海外での生活が始まりましたが、英語で話しかけられてもさっぱりわかりません。
わからないので、ひたすら笑顔でいるしかなく、自分が情けなく辛い日々でした。
転勤先では夫の会社の他の人たちもいるので、その集まりなどにも参加しなくてはなりませんでした。
パーティーなどがあるときには、自分でお料理を作って持参しなくてはならないという決まりがあり、料理に自信がない私にはとてもつらい決まりでした。
華やかなことが好きな奥さんたちはパーティーで人脈を作っていくのですが、私はパーティーが苦手だったし、英語も上手ではなかったので、できるだけ目立たないように裏方に徹していました。
子供も私に似て英語がうまくならないので苦労しました。
数年の間、日本語が通じない世界での生活はとてもたいへんでした。

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