仕事を失い貧乏したときの辛い思い出

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仕事を失い貧乏したときの辛い思い出

今から15年前ぐらいに、勤めていた会社が倒産して仕事を失ったことがあります。

その頃はちょうど不況が続いていた時期で、経済的な理由から、その当時、一人暮らしをしていた私はアパートを引き払って、いったん実家に戻ることになったのです。

最初、実家に戻ったときは、両親は久しぶりに一緒に暮らせると思い、喜んでいたように見えました。

しかしながら、すぐに職が見つかると思っていた両親は、なかなか職が決まらないことにだんだんとイライラするようになっていったのです。

そして、私もだんだんと焦るようになっていきました。

就職活動が長引いたときは、本当に辛かったです。

ためていた貯金が底をつくようになって思うような生活ができなくなり、体力が消耗し、精神的な負担が重くなっていきました。

その上、お世話になっている家族に対して申し訳ない思いがわいて、惨めでしかたありません・・・。

そのようにして、私は負の連鎖にはまっていったのです。

その時期、生活をしていて一番辛かったのは、思うような食事がとれなかったことです。

幸いなことに実家で暮らせていたので、肩身の狭い思いをしながらも朝食と夕食はそれなりに食べることができました。

しかしながら、職を探しに外出したときは、昼食にあんパン一個しか食べることができませんでした。

のどが渇いたときは、ハローワークに行く途中にある図書館に寄って、水を飲むしかありません。

また、交通費がもったいないので、自宅から7キロほど離れたハローワークまで歩いて通っていました。

本当であれば、歩きやすい靴がほしいところですが、その当時は、数千円で購入した硬いスポーツシューズを履くしかありませんでした。

靴底が薄くて作りが雑なので、歩いていると足が痛くて大変でした。

道の途中の所々にある、人目につかない公園にたどりついたときは、とてもホッとしたことを憶えています。

そのようなことで、仕事が見つからずにハローワークから自宅に戻るときは、足が痛いわお腹がすくわ、疲れたわで、とても大変だったことを思い起こします。

その頃は、そのほかにも苦しいことがたくさんありました。

好きだったお酒やタバコといった嗜好品は当然ながら我慢するしかありませんでした。

暇があると、暗い考えしか浮かんできません・・・。

ようやく職が決まったのは、就職活動を始めてから1年後のことでした。

慣れない職場になじむのは大変でしたが、それ以上に、貧乏から抜け出せたことが嬉しかったことを思い起こします。

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