私を地獄から救ってくれた親友に感謝

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私を地獄から救ってくれた親友に感謝

初めまして東海地区に在住の44歳女性です。

今回は私の人生を地獄から天国に転換させて、何とかやり直すことが出来た転職成功経験、逆に言えば、最初の就職失敗経験について、お話しさせて頂き、読者の皆様の参考に少しでもなれれば幸いと存じます。

それでは、よろしくお願いします。

最初に前述でも記載しましたが、私は最初の就職に失敗しました。

その結果、私は重度のうつ病になってしまいました。

そこからお話ししたいと思います。

私は小学校の頃から勉強や研究など、何かに没頭するのが好きでしたが、実家が団地住まいで貧乏だったので、中学時代から女性と言うこともあるし弟もいて、お金がかかるからお前は大学は無理だと言われていました。

そのため、高校を卒業したら直ぐに就職するのが、既に私の宿命でした。

そして高校では簿記や情報処理などの資格も取得しつつ商業科を首席で卒業後、地元の大手造船メーカーに就職しました。

ここまでは特に問題もなく順調でした。

しかし、就職したメーカーは超ブラック企業でした。

ここで一気に地獄に落ちます。

今にして思えば、世間知らずだったのです。

学校もきっと真面目な私なら上手く順応して耐えられると思って送り出したのでしょう。

はっきり言って酷いです。

逆に何故に東海地区の学校なのに、一番景気の良い自動車業界を紹介してもらえなかったのか、就職係の先生もそのように指導してくれなかったのかと後悔しきりです。

とにかく、最初に就職した造船会社は最悪でした。

本当に多くの人に言いたいのは、造船業界に行くなら地獄を覚悟して行ってほしいです。

それくらい地獄の毎日でした。

私は会社の新人研修が終わった入社半年後に正式配属されたのが、港にあるドッグと言われる造船工場の事務員でした。

もうその職場は、脳みそから足の先まで全身筋肉モリモリ系の男性社会で、まさに猛獣大集合みたいな動物園のような職場だった第一印象があり、どちらかと言えば文科系でアニメオタクの私には苦手な体育会系の方々でした。

その時の私を無理矢理、動物に例えるなら、アフリカにある野生の王国に連れてこられた真面目だけが取り柄の大人しいコアラそのもので、「けものフレンズ風」のカバンちゃん的に言えば、「皆さん、私を食べないでくださ~い!」と毎日、心の中で叫んでいる様な環境で、学校紹介による推薦就職で仕方がない言えばそれまでですが、最初から自分には無理な職場で、家に帰るといつも泣いていました。

そんな私でしたが、その職場にも唯一優しかった5歳上の先輩女性事務員がいました。

どうやらこの先輩が寿退社するので、その代わりが私だったようです。

その先輩には事あるごとに、転職するにせよ、最低2年は我慢しないと、次に行く時に、採用してもらえないよと忠告されていたので、とりあえず2年間頑張りました。

毎月手取り10万円代で、朝は7時から夜は19時まで、事務所掃除やお茶や仕事の資料準備や臭くて汚い男性社員の作業服の洗濯などのお世話をしていました。

しかも今なら大問題ですが、当時の残業は全てサービスでした。

よくもまあこんな地獄社会で2年間も耐え抜いたと我ながら感心します。

また男性社員は、女性社員を結婚相手または性のはけ口ぐらいにしか考えていないので、その対応は荒々しく、絶対この会社の人とは一緒になりたくないと思っていましたし、とにかく一日も早くここから抜け出さないとダメだと思っていました。

そして、就職後1年が経ち、先輩が結婚していなくなり、ついに女性は私一人の職場になりました。それから1年間は記憶にないほど、我慢だけの毎日でした。

辞める3カ月前に上長に話した時は、思わず大声で泣いてしまいました。

それで、引継ぎを兼ねて、ヤンキー風の超テキトーな派遣女性が来てくれるようになって何とか、職場は回るようになりましたが、私の精神状態はおかしくなっていきました。

就職して2年後、私は「一身上の都合」で退職しましたが、その時の真の退職理由は、その職場不適合による精神状態の破壊と言うのが本当の所です。

それでも私は何とか地獄の低賃金猛獣社会から抜け出すことが出来ました。

しかし、その後の1年間は無職のプーさんになってしまい、それも精神状態を悪化させる要因になりました。

結果、私は重度のうつ病と診断されて、多くの色々な精神安定剤を服用するようになってしまいました。

それは御年21歳の時で社会の敗北者として、私は既にいつ死んでもおかしくない状態の引きこもりでした。

そんな私にも転機が訪れました。たまたま高校時代の親友から電話が来て、久しぶりに当時の仲間と会うことになりました。

その親友は、自動車関連の工場ラインに勤務していました。

それで、どうやらその工場の情報処理担当が人材不足で、友達は私が情報処理関連が得意なのを知っていたので、誘ってくれたのです。

それで、その会社を紹介されて、1年間の試行期間を経て、晴れて国内最大手の自動車メーカー社員になることが出来ました。

待遇はそれまでの地獄とは比べ物にならないほど雲泥の差で天国そのものでした。

転職後は、工場内の伝票処理などを自動化していく仕事に従事、明らかにこの仕事の方が私に向いていました。

そして、その後は何とか人生が軌道修正出来て、その5年後には職場の似たような大人しくて穏やかな感じの男性と結婚し、今は家族も増えて人並み以上に幸せになれました。

本当に、あのまま死んでいたら今の私はありません。

私を地獄から救ってくれた親友に感謝です。

最後に、人生は何が起こるか分かりません。

でも分かっているのは、収入が大事で、その収入を得るための手段はとても大事だと言うことです。

それを私の様に、学校任せで事前に自分に適合しているか否かも調査しないで決めてしまうと、ひどい目に遭うということを体験しました。

あと、もうひとつ付け加えるなら、もしも人生のコースを間違えても、最後まであきらめずにいることです。

そして良い親友や人脈を持つことです。

以上、今でもあの地獄時代を思い出すと頭が痛くなります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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