子育てで分かった亡き母への感謝

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子育てで分かった亡き母への感謝

私は5歳年上の夫と結婚して、現在、中高生になる2児の母です。独身の頃は、私には結婚は不向きで家族を持つこともないだろうと思っていました。しかし、27歳の時に夫と知り合い長男が出来て結婚した後からは怒涛の如く、人生は濃密に加速しました。
特に長男出産の後、直ぐに次男も妊娠して、子育てが始まってからの生活は凄まじく目まぐるしいものでした。それでも何とかここまでやってこれたのも、今にして思えば、長男が誕生する直前で亡くなってしまった母親から生前に教わったことの大切さと母親への感謝の思いです。
最初に私は結婚に不向きと言ったのは、私の家は市営の団地住まいで、トラック運転手だったお父さんは私が小学校6年生の時に交通事故で亡くなり母子家庭となりましたが、この時、生まれたばかりの妹が居ました。お父さんが亡くなった後から家庭は確実に貧しくなり、私は高校進学を断念しましたが、何とか働きながらでも高校は行くべきとの当時の担任の勧めで、昼間はスーパーでパート勤務しながら定時制高校に通学し卒業しました。高校卒業後に就職もブラック企業で苦労もしました。この頃は、完全に私は人生の負け組で世の中の底辺なので、とても結婚なんてしたいとも思わなかったし、事実結婚する気持ちも全く起きませんでした。
しかしその後、大手自動車メーカーの開発部門の事務員に転職が出来て、そこで今の夫と知り合い、一緒に仕事をする中で意気投合し、先に子供が出来てしまいましたが、無事人並みの家族をもつことが出来ました。ここまで来れたのは、やはり父親亡き後、母1人と祖母で私と妹を育ててくれたことは本当に感謝してもしきれません。
私は父親が亡くなった後、専業主婦だった母が慣れないパート勤務を始めたり、私が中学に入学後はやはり精神的にもひねくれてしまうくらい極貧で、一時的に反抗したり、登校拒否になったり、中学の修学旅行もお金がなくて行けませんでした。まだ赤ちゃんだった妹のオムツ交換やミルクや子育て全般も私がやりました。忘れられないのが、妹の保育園に迎えに行った時、まだ16、17歳だった私をお母さんが迎えに来たよと勘違いされた時でした。何で私ばっかりこんな悲惨な目に遭うのだろうと自分の運命を責めました。そんな私に母はいつも感謝してくれると同時に、実生活で必要な料理や洗濯や掃除などの家事全般を教えてくれました。結果としてはこれらの実家での生活上の大変だった実務経験が、結婚後の生活や子育てに全て役立ちました。
私の人生は人並みに言えば極貧だったと思います。だけど母の真面目な背中を見ながら生きて、私もそれを受け継いでいます。母は私の妊娠が分かった時、とても喜んでくれ、生まれてくる男の子を楽しみにしていました。しかし、働き過ぎたせいか、長男出産直前で乳癌発見が遅れて帰らぬ人となりました。でも不思議なもので、長男は母親のことを私のお腹の中で聞いていたらしく、何となく分かると言います。もう母には会えないし、本来ならまだまだもっと色々教えて欲しかったけど、今となっては母と共に過ごした日々に感謝しかありません。有難う、お母さん!

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