私は電気が止まるのは当たり前の4人の兄妹と母だけの家族で育ちました。小さな頃から支払いについて母が人と揉めているのを見てきましたし、学校の給食費を始め、買わなくてはならない教材などもなかなか購入することができずにいるのを見てきたため、私は世間に対しての引け目や恥ずかしさなどを感じていました。
それでも、子供心にどうにか貧乏でも生きていこうという気持ちでいましたし、早く働いて母の力になりたいとも思っていました。
我が家は町が運営している団地に住んでいて、家賃は1万円にも満たなかったのですが母はそれすらも支払うことができずによく玄関で役所の人たちと話をしているのを見かけました。
貧乏な人が住むのが団地だと思っていなかったのですが年齢が上がると同級生などもあの家に住んでいるのは貧乏な家庭だというような認識を持っているようで友達との距離も変わってきました。
「お金なくて大変なんでしょ」と言われたり、「また大人の人が来てたね」とからかわれることもありました。団地に住んでいるというだけで貧乏だと公表しているようで、私は自分の家を新しくできた友達に教えたくなかったのですがどうしてもばれてしまうことで、小学生の時から普通の人たちと貧乏な自分という格差を感じさせられていました。
給食費を払っていないので給食の時間が嫌いで四時間目が終わるとお腹が痛いといって早退したり、早退すると母から給食くらい食べてきてよと怒られてという日々。貧乏な家庭だと、忘れ物をすると貧乏だから準備できなかったと思われているんじゃないかとも考えるようになり、段々と学校に行くことも出来なくなったのです。
でも、家にいると毎日大人がインターホンをならし、ドアを叩き、「~さん、いますよね?」と声をかけられてしまいます。電話もかかってくるので、私は電話が止められてしまう時が一番ホッとする瞬間でもありました。
そんな思春期を過ごした私は早く仕事をしたくて、高校にも行きたくないと揉めたのですが、卒業はして欲しいと言われ、働き始めたのは高卒から。
働いたお金を生活費に使ってもらうために母に渡していたのでこれで弟たちも楽に暮らせると思ったのに、働き始めて数ヶ月ほど経つと、母から出ていって欲しいと言われました。
なぜなら、町営団地は収入に応じて家賃が上がるから。私が稼ぐとアパートに引っ越した方がよくなるから、私はアパートに引っ越して仕送りをして欲しいと言われたのです。
働き始めてからはほとんど家にお金を入れていたので、引っ越す余裕はなかったのですが、お金のことしか考えていない母にがっかりして、私の生活のことを全く考えていない母に失望して家を出て縁を切りました。貧乏じゃなければ縁を切ることはなかったし、貧乏じゃなければもっと思春期を楽しめたと思うと、貧乏に生まれたら幸せなことはないのだと実感しました。
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