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私の家は貧乏でしたが、私自身がそれによって苦しい思いをした事はあまりありませんでした。
しかし、大人になってから母親の当時の様子を思い返して、「貧乏だったんだなあ」と思うことがたくさんあったので紹介します。
私は九州の端にある人口1万人にも満たない田舎で生まれ育ちました。
築100年を超える家で兄弟6人と母親、父はいなかったので7人で生活をしていて私は一番下の子供でした。
母親は仕事をしていたので、兄弟で協力して家事をしていました。
上の兄弟たちが買い出し、小さかった私は皿洗いや掃除をしていました。
それが当たり前だと思っていたので人にわざわざ言ったりすることもなく、毎日を過ごしていました。
もちろん、友達がおもちゃやゲームを買ってもらった、家族で遊園地に行ったなどの話を聞いて「私も家族で遊園地に行きたい」と何度もせがんだこともありましたが、母親におねだりしてはいけないと兄弟から厳しく言われていたので、不満に思いながらも「仕方ない」と思って生活をしていました。
その他にも「ご飯がない日がある」「林間学校に行けない」「兄弟のお下がりしか服がない」といった、いわゆる貧乏な家あるあるはありました。
しかし、母親は料理や手芸など手間だけは惜しまなかったので、そこまで惨めな思いはしませんでした。
母親は、仕事から帰ってくると簡単な料理を作ったり、ご飯を炊いた兄弟を褒めて掃除をした私を褒めました。
疲れているだろうに破れたズボンを縫い、次の日のお弁当の準備をしたり、母親が寝るのはいつも日付が変わったあとでした。
私が中学生になる頃は、特に母親が苦労する姿が目立ちました。
長男は大学に行くのを辞めて、地元で働いていました。
そんな長男に「必ず返すから」と言って、お金を借りている姿を何度か目にしたことがあります。
長男も「好きに使っていいから」「俺が遊ぶくらいの金はちゃんとあるから」といって給料日のたびに家賃代といってお金を渡していました。
それ以外にも大人になって気がついたのですが、母親はカードをたくさん持っていました。
当時はポイントカードと言えばスタンプ式が多かったのですけど今思うと「あれ」はキャッシングのカードだと思います。
朝から夕方まで働いて、私達が寝るまでは疲れていても苦しそうにしたり「お金がない」とぐちを言ったりしませんでした。
それでも「お金が無くてごめんね」と何度も謝っていたのを思い出します。
当時は「別にいいよ」と思っていました。
それでも母親には「なんでお金がないの?」「誕生日のケーキは?」と無邪気に聞いてしまっていました。
時々母親は泣いていましたが、兄弟が慰めていました。
私は母親にお願いごとはしてはいけないと思って生活していました。
中学、高校になって自分の家は貧乏だなと思い、今現在になっても母親が貧乏によって、苦労をしてたんだなと思い出します。
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