高校生時代に経験した一家離散の辛くみじめな半年間の思い出

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高校生時代に経験した一家離散の辛くみじめな半年間の思い出

現在53歳ですが、これまでの人生で一番辛いと思ったのは大好きだった母との別居生活でした。
それは私が高校3年生の時でした。

当時父親からのDVに悩んでいた母が離婚を決意して父と話し合いをした結果、父と母はそれぞれに住み込みの仕事を見つけて当時住んでいた田舎町を出る事になり、私は、残り半年で高校卒業となるため、せめて高校はきちんと卒業した方が良いだろうという事で母方の祖母の家に居候させてもらいながら高校を卒業する事になり、8月から3月までの約半年間、大好きな母と離れ離れで生活をしたのでした。

祖母宅には母の弟も同居していたのですが、祖母は自分の子供の中でも末っ子にあたる叔父を溺愛しておりました。溺愛している末息子と祖母の家に突然入り込んできた、折り合いの悪い娘の子供に祖母と叔父の態度はそれは冷たいものでした。

引越しの荷物の運搬すら手伝ってもらえることはなく、高校からの帰りに祖母宅とは真逆の方向にある空き家になってしまった自宅に自転車で約10キロの道のりを通い、自転車に詰める限りの荷物を積んで往復しました。
そんな我が家の状況はせまい田舎町ではすぐに知れ渡り、噂の的になっていました。

私は一人っ子でかなりの母っこでしたし、性格のきつい祖母と暮らす日常はなかなか慣れる事もなく文字通り針のむしろのような日々です。
夫婦仲は悪くとも一人っ子で甘やかされた私にとっては祖母の気性の粗さと口の悪さはかなりのストレスでした。
学校に行けばいったで同級生は入試に集中しており、誰にも気持ちを打ち明ける事も出来ません。
そんな生活の中の唯一の癒しは週1回程度かかってくる母からの電話でした。

とはいっても話が出来るのはほんの10分程度。電話機は祖母の寝室にあったため長電話になれば祖母に怒られてしまうのです。
近所には公衆電話などもなく、私から電話をかける事も出来ません。
そこで私からの連絡は手紙での連絡となりました。

手紙には卒業してからの楽しみや希望、その日にあった事などを書き、毎日のように投函し続けましたが、母が悲しむので寂しいとか悲しいと言った素直な気持ちを言う事も憚られました。
地元では尾ひれのついた噂話の的になっているのを感じ、みんなが敵のようにすら感じました。

その後の私の人生で、離婚や病気等、苦労も山のようにしてきましたが、高校3年間の最後の半年間は、35年以上経過した今でも鮮明に残る、一番辛かった出来事なのです。

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