社長だった祖父が正座して祖母に怒られている姿を見てしまった私

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社長だった祖父が正座して祖母に怒られている姿を見てしまった私

私の実家は、子供の頃に従業員100人程度の鉄工場を経営していました。
社長は祖父で、工場長が父親でした。
母親は親会社の社長秘書をしていて、取引先の優良協力会社だった子会社で工場長の父親とお互いに地元大地主だったと言う家族間のバランス的な政略結婚で一緒になったと聞いています。

工場では主に当時人気のスカイラインやブルーバードやサニーなどを生産していた大手自動車メーカーの鉄加工部品を生産しており、プレスやスポット溶接と呼ばれる鉄加工をしていました。
まさに戦後、昭和の高度成長期だった時代です。
実家の鉄工場は、この高度成長の波に乗って、毎年メーカー限定ではありましたが、車を買い替える様な羽振りの良さで、今では夢の様なフェアレディZも、その頃には普通に乗っていました。

そんな工場を経営していた実家で、短大卒業後に保母として働き、現在の公務員である主人の所にお嫁に行く迄の間、私は過ごしてきたわけですが、その中でも特に忘れられない見てはいけないものを見てしまった記憶は、社長だった祖父が、頭ごなしに祖母に怒られて、正座をしてうなだれている姿を襖の隙間越しに見てしまったショッキングな姿でした。

何故、私がそのシーンを見てしまったのかと言えば、祖父母が住む大屋敷と私の両親と長女の私と弟たち二人の5人家族の住む家とは廊下でつながっていて、明らかに祖父母の住居の方が、部屋が余っていたので、中学から私は祖父母の方で生活していたからでした。

祖父と言えば、日頃からニコニコとして笑顔が絶えない優しい口数の少ない感じの人で、逆に、祖母は元々、16歳の若さで山岳地方から出稼ぎ目的で、戦時中に嫁に来た人で、非常に現実的で一本芯が通った感じの気が強い女性でした。
そんな祖母が好きだったドラマが「おしん」だったことは予想がつくと思います。

正直な所、会社の実権を握っていたのは祖母だったと思います。
そんな苦労人の祖母とご苦労なしのお嬢様である母とで、性格の相性や生活習慣などが一致する訳もなく、しょっちゅう喧嘩しては母が泣いていたのを覚えています。

子供ながらに弟たちと一緒に、我の強かった祖母に「お母さんをイジメないで」と訴えたのを覚えています。
そんな戦時中を生き抜いた力強い祖母が、人の良さそうな表向きは社長の祖父を、毎晩毎晩、正座させては、頭ごなしに怒って説教していた姿を、中学校の頃から見ていました。

その姿は決して、他人には言えず、見てはいけないものを見てしまったとしか言いようがない光景で、私の脳裏から離れることはなく、ずっとトラウマとなっていて、私はそんなことをしない様に気を付けています。

きっと祖母は祖母で、B29が近隣の工場や我が家の田んぼの頭上を通り抜ける中、橋の下に隠れて身を潜めて震えたりしたので、何が何でも生き抜くために、必死だったと思います。

だけど、あの光景や「祖父やお母さんをイジメないで」って子供ながらに、訴えた気持ちは今も忘れられません。

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