貧乏だということを知られたくなくて

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貧乏だということを知られたくなくて

私は、45歳の女性です。現在はフリーランスの仕事をしています。我が家は、かなりの貧乏でした。
ですが、私の幼少期はバブルに差し掛かろうとしていて、同級生の子にはお金持ちの子が多かったんです。
そのため、毎月誰かしらの誕生日会が開かれていました。

私も、友人から何度となく誕生日会に招待されていたのですが、私は誰の招待を受けませんでした。
なぜかと言うと、やはり招待されたら私も招待しなくてはいけなくなります。
正直、我が家では皆をもてなすような料理やケーキを用意することはできません。
もし、そんなことになれば母はかなり無理をしてしまうでしょう。
そんな負担はかけられなくて、適当な言い訳をしていたのですが、やがて友人達からは付き合いが悪いと言われるようになって仲間はずれにされてしまったんです。

そのことを私はなかなか両親には言えなかったのですが、やがて私のいじめがエスカレートしてしまい、学校で問題になってしまったんです。
学校に呼び出された母と、先生の前で私はいじめが始まったきっかけを話すはめになりました。
できたら、言いたくなかったです。
でも、言わなければならない状況になってしまい、誕生日会を断ったことを話しました。

先生は、なぜ行かなかったのかとしつこく聞いてきましたが、まさか家が貧乏だからとは言えませんでした。
でも、母にはすぐにわかったみたいです。
結局。私を仲間はずれにしていた子と、その子のお母さんが謝りにきて、事態は収束しました。
母は、特になにも言いませんでした。でも、ある日。母が私の手を引いてよく言っていた公園へと行ったんです。
そこで、母が小さくごめんねと呟いたんです。

私には、何に対して謝っているのかすぐにわかりました。
わかった途端、ポロポロと涙が溢れてきました。
いろんな感情が混ざりあってしまい、うまく言葉が出ませんでした。
自分が情けなくて、惨めで、そんな気持ちを母にまでさせてしまったことが悲しくて、私は大声をあげて泣き続けました。
母に抱き締められ、私は何度もごめんなさいと繰り返してました。

何に対して謝ったのか、自分でもわかりませんでした。
誕生日会のことを言わなかったことに対してなのか、母に惨めな思いをさせてしまったことに対してなのか。
帰り道。母は今日は特別ねと言って、アイスクリーム屋でサンデーを食べさせてくれました。
その時の甘さは、今でも覚えています。
そして、歩きながら「来年の誕生日は豪華にするからね」と言ってくれた言葉がすごく嬉しかったです。

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