娘がまだ10ヶ月の時です。キッチンで夕飯作りをしていると、ベビーゲートにつかまってずっと泣き続けていました。いつもならゲートの中には入れませんが、この日は根負けしキッチンの中に入れてしまいました。お湯を沸かしているにもかかわらず…。
後ろで激しい泣き声。何が起きているか理解できませんでした。まだつかまり立ちしかできない娘がケトルの取手をつかんでしまい頭から熱湯をかぶってしまったのです。顔、腕、足と服を着てない部分がすぐに真っ赤になりました。急いでお風呂場に連れて行きシャワーで冷やしました。1番ひどかった顔は冷やしているそばからすぐ皮膚がめくれてしまいました。パニック状態の中救急車を呼びました。
そして、すぐに小児の救急診療をしている大学病院に搬送してくださいました。救急車の中、冷やし続けながら娘を抱き私は絶望感と後悔で涙がとまりませんでした。病院に着き、娘を診てもらっている間は生きた心地がしませんでした。どれくらいの時間がたったでしょうか。とてもとても長く感じました。
途中で救急の先生と看護師さんが説明に来てくださいました。熱傷は時間の経過とともに深度が進むため、跡が残るかもしるないと説明されました。私はただ泣くことしかできませんでした。処置を終えて出てきた娘の顔はガーゼとネットで覆われほとんど見えない状態でした。私は娘に付き添い入院をしました。入院中、処置の時には痛みで娘は泣いていましたが、幸いにも元気になり笑顔も見られるようになりました。
ただ、顔の皮膚はボロボロで跡が残る可能性はまだ消えていませんでした。退院後も処置に通いました。ある日、大学病院で処置を終え駐車場までの横断歩道を渡る際に足の悪いおばあさんと信号が一緒になりました。信号が短くその方は渡りきれなそうでしたので、途中で戻りお手伝いをしました。おばあさんはお礼の言葉とともに、娘のガーゼで覆われた顔を見て事情を聞いてくださいました。
すると、’実は私も娘が小さいころにヤカンのお湯でやけどをさせてしまってね。皮膚移植までしたの。自分を責めたけど、娘は人目を気にすることなく育ってくれた。その子は結婚し今では孫にも恵まれた。だからきっと大丈夫’と。私は人目もはばからず道端で泣きました。助けたつもりでいたおばあさんに私の心は救われました。この出会いに私は感謝しています。娘は今、やけどの跡もなく元気に小学校に通っています。