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私は幼少期の頃東京足立区の端っこの方に住んでいました。
おっきなマンモス団地で生活してましたが母親と私、弟の3人で住んでいました。
団地に住んでいるので比較的いい生活なのかと思っていましたが小学校に行くようになり周りとの差が大きく私は他の子と違うんだと思ったのを強く覚えています。
私の母親は会社の事務をしているのですが縫製が上手でズボンや下着などはいつも母親が作ってくれていました。
それが普通で周りのお友達には少し変な目で見てたのかもしれないが私はメンタルが強いようで男子に揶揄われいても気にしていませんでした。
今ならイジメでどうなっていたかわかりません。
『貧乏女』『こじき女』なんてしょっちゅう言われて少し喧嘩になっていました。
そんな私の見た目もそうなのですが私が髪が長くいつも結いていたのですが櫛がなくていつもボサボサでお友達の家のお母さんが気にしてくれてとかしてくれたり髪のアレンジをしてくれたりと今思えばだいぶ気をつかってくれていたのだと思います。
そんな私も家に帰ると弟の面倒を見たりご飯の準備をしたりと家事の手伝いも毎日小学校一年生から始めていました。
母親が帰ってくるとおかずの準備をして一緒に食事するという生活を送っていました。
おかずはいつも一品でお味噌汁もあったら兄弟ともに大喜びする家でした。
ご飯はいつもおばあちゃんから送ってもらうものでお米には困っていませんでしたからご飯で体が大きくなったと思います。
衣類は大体母親が生地を買ってきてカバンやシャツを作ってくれて服を買ったことがない私ですがある時遠足に行くことになりお友達4人くらいで買い物に行くことになり始めてお金を渡されました。
その金額が千円です。
正直買い物に行ってもワンピースも買えませんし友達はませていましたので洋服を買っている子もいる中で私は金魚のフンのように黙って後ろをついてくだけでなんだか悲しくなりました。
『〇〇ちゃんは何買うの?』と聞かれた時も私は可愛いのがないから買わないと、友達にお金がなく貧乏だと思われたくないから見栄を張って何も買いませんでした。
結局その時はこの1000円を握りしめて使うことはなく自宅に帰ってきて黙って母親に返しました。
私は他の子と違うんだと小学1年生の時に感じてから大人になって社会に出てあの頃に戻りたくない気持ちで今でも一生懸命働いています。
この頃ちょっとした事ではめげない精神を身につけられた私は今日も頑張って仕事をします。
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