中学生の頃に、母と弟と3人での貧乏暮らしが始まりました。離婚をしたことがきっかけで最初の頃は養育費も払われていたようですが、1年くらいで支払われなくなってしまいました。
母はフルタイムの仕事をしていたため、私は中学生の頃から家事のほとんどを担っていました。朝食は自分で用意しますしお弁当も作ります。夕食に間に合うようにご飯を炊いて味噌汁を作るのが日々の日課でした。
洗濯物も私と弟が畳んで片付けていました。確かに家事は大変だったのですが、母と3人の暮らしですし助け合うことは当たり前だと思っていたのでそれ程辛いとは思いませんでした。
ただ、お金がないということが一番辛かったです。見えない部分は人にバレることはないのですが、お弁当などは友達に見られたくはなかったです。私の弁当は自分で作るからというのもありいつも夕飯の残り物と卵焼き、ウインナーくらいでしたが、友達の弁当を覗き込むと色とりどり、果物が入っていてとても可愛いお弁当です。
すごく羨ましい気持ちがあり「果物を買って欲しい」と母に頼んだことがあります。ですが当然ながら果物は高いですので、買ってもらえません。子供の頃に食べたことがあるのは、旬にダンボール箱いっぱいに詰まったミカンやバナナでした。
バナナも「お母さんの小さい頃は正月くらいしか食べられなかった」と話を何度も聞かされていました。
中学生のうちは周囲の友達がたくさんお小遣いをもらっている中、千円で毎月過ごしていました。それでも貰えるだけ良かったと言われるでしょう。何か買おうと貯めていても「今月きついからお金貸して欲しい」と言われて、貯めていたお小遣いを何度か母に渡しました。
これも仕方ないと思いつつ、もう自然な流れになっていました。高校生になりバイトが出来るようになるととても嬉しかったです。自分のものが買える幸せを満喫することができましたが、バイト代のまとまった数万円も結局母に何度か貸しました。
そのまま返ってこないお金になってしまったのですが、この頃母は子供の教育費が足らず消費者金融でお金を借りていたのです。それも一社からではありませんでした。それに気付いたのは私が高校を卒業した頃のことでした。
私は自分のせいという気持ちもあり、社会人になってからは「私が一緒に返済していくよ」と言って、母の借金を書き出してもらって一社でも早く解約できるようにサポートしていきました。
私が20代半ばの時にようやく母も借金を完済できました。この当時のことはお金の面で辛かったこともあるのですが、私としてはわりと平和な時間だったように思います。母を支えてあげられるということが嬉しかったのもありますが、あとになって思い出してみるとあれは貧乏暮らしだったのだなと気付かされました。