私が20歳で大学生の時の話です。
その頃私は原付バイクをよく乗っていて、どこへ行くにもいつもバイクを利用していました。
その日もアルバイトからバイクで帰宅していたのですが、夜道だったこともあり、左折する際に隣を走っていた大型車に巻き込まれてしまったのです。一瞬何が起こったかわかりませんでしたが、足から大量の血が出ていたことは覚えています。
運転手の方が直ぐに降りてきて救急車を呼んでくれました。他にも事故を目撃していた方が次々に私の元へ飛んできてくれ、励ましてくれました。私はだんだんと意識が遠退いていき、気が付いた時には病院のベッドにいました。私が目覚めると母が涙ぐみながら私の顔を覗き込み何度も頷いていました。
足の感覚はありませんでしたが、右足が紐でつられたような状態でギプスがはめられていました。意思からの説明によると、膝の骨が割れて、ボルトで補っているとのことでした。今は麻酔で落ち着いているが、切れると痛みが増すと言われ、病院が大の苦手な私は発狂しそうになりました。
全治2~3ヶ月ということで、思っていたより大きな事故だったのだと思いました。
私を巻き込んだ大型車の運転手は何度も謝罪に訪れてくれました。私も自分が不注意だったことを詫びました。私が入院した病院は大学病院で、とても綺麗でした。私は大部屋より個室が良かったので、退院するまで個室で快適に過ごすことが出来ました。
快適にと言っても、足の怪我には何度も泣かされました。思っていた以上の痛みで、夜中に何度も目が覚めました。我慢ができないくらいの痛みの時は、看護師を呼んで痛み止めの注射を打ってもらいました。その痛みを経験して、二度とバイクには乗らないと決めました。
食事は正直あまり美味しくなかったです。当たり前ですが薄味で、いつも同じようなメニューなので飽きてしまいました。しかも足を怪我していることで動けないのでお腹も空きません。でも、母がたまにおにぎりを作って持ってきてくれるのですが、その時はパクパクと全部食べていました。
入院していて一番苦痛だったのは、下の世話をしてもらわなければいけなかったことです。もちろん看護師は女性ですし、手慣れていますが年頃の私にとっては苦痛以外にありませんでした。無理に動いてトイレへ向かおうとして叱られたこともあります。
でも全体的に見て医師や看護師の質は高いと感じました。こちらの質問にも詳しく丁寧に答えてくれたり、いつも笑顔で部屋に入って来てくれたり。不安しかない中ですごく勇気をもらえました。
ボルトが入ったままでリハビリを行った時の痛みは今も忘れられません。時には泣いてしまうこともありました。本当に普通に歩けるようになるのか、後遺症は残らないのか心配でなりませんでした。
予定通り3ヶ月で退院しましたが、しばらくは足に違和感がありました。若さのお陰かもしれませんが、その違和感も時間の経過と共になくなりました。
その事故以来、私はバイクを手放しました。そしてたくさんの方に励ましてもらったことに感謝し、心配をかけた両親へはこれらしっかり親孝行をしていきたいと思います。