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今私は高校生二人と中学2年生になる子供達の塾通いや大学巡りの支援でスケジュールが埋まっていて、思えばずっと子供達のために生きている気がします。そうあの時から…
当時、27歳だった私は大学で情報処理資格を取得した後、東海地区の大手自動車メーカーに就職して、その工場で生産管理部門の情報処理担当として働いていました。今にして思えば、高給で福利厚生も充実していて、非常に安定した会社員生活でした。高校からその工場に就職した友達もいて、彼女は工場のラインで勤務していましたが、私と同じく見た目も良いとは言えない独身女子だったので、安心して二人でよく一緒に旅行やイベントに行ったりしていました。本当に充実した独身生活でした。
でもそんな凄い安定していた私があの修羅場に遭遇するとは思ってもいませんでした。きっと私の中に、やっぱり彼氏や結婚や家族を持ちたいと言う願望が少なからずあったのだと思います。私は比較的安価なお見合いサイトにこっそり登録してみました。そこで知り合ったのが今の夫になります。私自身は恥ずかしながら全く男性とお付き合いしたこともなく、そもそも告白してフラれた経験はありますが、男性から言い寄られたこともなく、チビデブと言う外見やきつそうな顔つきや男っぽい性格など、男性に好かれる要素が全くないのが原因だと分かっていましたが、生まれつきの容姿や性格はどうにもならず、半ば諦めていました。
そんな時に大手電機メーカー開発職の6歳年上だった夫と知り合い、最初はメールのやり取りで数ヶ月過ごしましたが、その期間は今まで味わったことのない楽しい時間でした。そして数ヶ月経った頃、夫から会いたいと誘いがあり、会うことになりました。但し、夫は首都圏在住だったので、私が新幹線で会いに行くことになったのと、やっぱり会ったらまたフラれるのかなと覚悟して会いました。
夫と会った第一印象は、サザエさんのマスオさんでした。性格は私とは真逆で、おっとり物静かな感じの人で、メールで話す積極的な雰囲気とは全く違いました。それで初デートは中華街や公園あたりを散策しました。そして、帰り道に私は優しそうな彼に、まだ初めて会ったばかりなのに告白されてしまい、どう対処すべきか分からず困っていると、何故か流れはホテルになっていました。彼の手が震えていたのを覚えています。でも彼も私もホテルを使ったことがなく、対応に困っていると係の人が案内してくれて、二人で部屋に入りました。そして初めてなのに私達は抱き合ってしまいましたが、流石に最後までは出来ませんでした。と言うよりもお互い未経験で上手くいきませんでした。その日の別れ際に「真剣なので結婚前提でお願いします。」と頼まれました。私は突然過ぎて何も言えませんでした。
その後、毎週毎週、彼は性懲りも無く私の住む街まで来てはホテルで愛し合い、3回目ぐらいで上手く出来るようになりました。でも私達は勢いのあまり避妊もせずに抱き合っていたので、初デートから2ヶ月後には妊娠が発覚してしまい、その時はガードが甘過ぎた自分自身を反省しました。
そして、ここからが修羅場の始まりです。もう妊娠している私には彼のプロポーズに悩む余地は無く、まさに彼にしてやられた感は否めないまま私は自分の両親に話しをしましたが、このやり取りの途中で分かったのは、実は彼はバツイチをずっと隠していて、大変ショックを受けたり、前妻が精神病を発病して、一度も抱き合わなかった理解不能な話、また当然、私の両親や親戚達にも凄い怒られ、それはそれで大変な修羅場でした。だけどもう後にも先にもどうにもならないので、とにかく元気に出産出来るよう協力してもらえることを理解してもらいました。
苦しいつわりもありました。どんどんお腹は大きくなり、会社でも噂は広まりました。その後はまさに台風か嵐のように、婚約、結婚、結婚式、寿退社、彼の実家に同居、その後、彼の住む街の市立病院で長男を出産しました。まさに私の29歳は怒涛の人生で、この夫との出会いや妊娠、夫の結婚歴、出来ちゃった結婚、そして慣れない土地でのいきなり子供付きの新生活スタートで、何度も自分のしてしまったことに対する絶望感を味わいました。
悩んでる暇もなく始まった新生活も気がつけば家族はどんどん増えて、私に訪れた人生の修羅場は何とか通り越したようです。
もしもこんなになるなんて分かっていたら、私は夫と付き合わなかったと思いますし、少々大人としても軽率な行動だったと反省しています。でも、きっと理屈じゃ理解できない人生と言うものもあるのでは無いかと、家族を持ってみて改めて感じている次第です。
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