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田舎で期間従業員で働いてました。
電化製品の組み立てをしていて、6年ほど働いて、お金もたまってきたので地元に帰ることにしました。
そこから地獄の貧乏の入り口になってしまいました。 まずは会社に退職届を出しました。
失業給付の書類はもらいませんでした。
すぐに就職できると思ったからです。
それが間違いの一つにあとでなりました。
それから部屋を借りたのです。
私の地元が大阪なので、別にきめてなかったので、 大阪のどこでもよかったのです。
たまたま紹介された場所にはいりました。
荷物は、会社を辞める二週間前に職場の男友達に頼んで運んでもらいました。
大阪に住みだしてから電気の開通とか生活の準備で2週間がすぎました。
それと並行して、あの当時は、ANNEというアルバイト雑誌を見ていました。
時期が悪くて、大阪は空前の不景気でした。
名古屋の一人勝ちみたいな状況でした。
名古屋の駅前でビルがたくさん作られていたころに大阪に来ました。
今では立派なビルが建っています。
その時の大阪は悲惨の状況でした。時給が500円ぐらいから600円ぐらい。
月に10万円ないぐらいの感じでした。交通費もでません。
最初は面接は7000円以上の日給のところを探していたんですけど、書類で落とされまくりました。
お金はなくなる一方なので、仕方なく10万円以下の月給の仕事も応募しました。
7000円以上の応募は50件に一件か二件の面接にいければいいほうでした。それも即ゴミ箱行きです。
今では信じられないけど、履歴書がゴミ箱に捨てられてるのを見たことがあります。
100人近くかそれ以上きた時代でした。
そんな状況だったので、月給10万円のところは、採用いただくことができました。
3か月の短期でした。交通費込です。同じように採用された人が60代の人でした。
どうやって生活してるのかなと思ったけど聞くことはできません。
大阪に働きだして、給料が良いところで働けなかったので、貯めたお金が なくなってしまいました。
家賃も払えない。どうしようと職業安定所に仕事を探してからマンションに帰ろうと思うと扉のノブに丸いカプセルみたいのにカギついて家に入れなくなっていました。
ドア一面に、『家賃不払いなので、ロックかけさせてもらいました。至急連絡ください』と書いてありました。
支払わないと部屋には入れないということです。
お金がないのでその日の食事も抑えてるぐらい貧乏です。
駅前でどうしようかなと思っていたら、それっぽい人が近づいてきて、そのままホテルに。そういう生活がしばらく続きました。
それからショーパブそして●●に身を落とすまではそんなに時間がかかりませんでした。
●●で働くようになって、家賃の滞納を支払いました。
それまでは●●店に泊まりで、何とか復活しました。
6年ぐらいは、働くことになりましたが・・。
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