私が中学3年生になって最初の頃、父親が勤めていた会社が業績不振によって倒産するかもしれないという状況になってしまいました。
そして父親の給料も少なくなってしまったので、私たち家族は出来るだけお金を節約しながらの貧乏生活をしなければいけなくなってしまったのです。
そしてもし本当に父親が勤めている会社が倒産してしまったらこの先、どうなって行くんだろう?と子供心なりに心配していたことを覚えています。
母親は兄弟3人の子供の子育てに専念するために仕事はしていなかったのですが、近くのスーパーでパートをするようになりました。
そんな母親の少しでも助けになりたくて、私は出来るだけ家事を手伝っていました。
でもそれまで料理はほとんどやっていなかったので、母親がパートに出ている間に代わりに夕食を作ってあげることはまだ出来ませんでした。
そのせいで母親がパートに出る日の夕食は、母親が働いているスーパーで売れ残って値引きされたお惣菜やお弁当ということが多かったです。
最初はそれでも大丈夫だったのですが、スーパーで売れ残るお惣菜やお弁当はいつも同じような物ばかりだったのでしばらくすると飽きてしまいました。
でもだからと言って、正規の値段のままのお惣菜やお弁当を買う余裕はありませんでした。
ですからその代わりに母親が作ってくれた料理は、スーパーで売れ残って値引きされている野菜や他の食材を使って作れる料理ばかりでした。
つまり作る料理を決めて、それに合わせた食材を購入する通常のパターンではなく、スーパーで値引きされている食材を集めて作れる料理を考えて作るというパターンだったのです。
だからあまり美味しいと思う料理はありませんでした。
でも少しでもお金を節約するために必死で頑張っていた母親の姿を見ていると、文句を言うことは出来ませんでした。
そして私はあることを決意しました。
それまで私は英文科のある私立の高校に行くことを望んでいたのですが、貧乏な家庭からそんな授業料の高い高校に行くのは無理だと思って、公立の商業高校を受験することにしたのです。
それは私にとっては大きな決断でしたが、貧乏なんだから仕方ないと諦めました。
特に私は長女ですし下の弟たちの事を考えると、私の進路が家族の負担になることはするべきではないと考えたからです。
そして商業高校なら、高校卒業後、大学に行かずに働くことが出来るとも思ったので、その高校に行くことを決意しました。
そして私はその商業高校に入って、卒業後は予定通りに大学に行かずに就職する道を選びました。
あの時期に家庭が貧乏になってしまったことは、私の人生に大きく影響してしまいましたが、商業高校に通ったお陰で簿記などの色んな資格を取ることが出来たりしたので悪いことだけでは無かったなと思います。
でももしあの時期に家庭が貧乏でなかったら私の人生はどう変わっていたんだろう?と思うことはあります。