わたくしは今年で55歳となりました。今は成人した息子と主人と3人で幸せに暮らしております。
今日はわたくしの息子が小児喘息を患い20歳になってやっと完治したエピソードを書いていきたいと思います。
「小児喘息」
私が息子を出産したのは30年前の25歳の時でした。
「元気な男の子です!」と言われてわたくし始め、みんなが喜んでくれたことを昨日のように覚えております。
しかしながら、生まれて1カ月した時でしょうか。
とても苦しそうに息をしており、白目をむいてしまうほどに衰弱をしてしまったので、すぐに救急車を手配して総合病院へ搬送されました。
救急隊の応急手当と病院の先生の迅速な対応により落ち着きましたが、先生が「お母さん。〇君はね・・・小児喘息です。しかもかなり重いです。
これから入院してもらいます」とのことで喘息との闘病生活が始まりました。
「長い闘病生活」
結局のところ0歳~7歳までは入退院を繰り返して生活をしておりました。
やっと喘息で良くなって退院できたと思うと、その24時間後にはまた入院という感じでした。
それでもわたくしを始め、主人や親族・親戚等が協力してくれて何とか息子を看護することができたのです。
息子は他の子と比べて身体が弱くて、外でも遊べない。
身体が弱すぎて幼稚園も年長からしかいけませんでした。
その年長も1年の半分くらいはお休みをいただいて自宅や病院で過ごすという感じでした。
「音楽に目覚める」
息子は音楽が好きだったようで、音楽を聴くととても嬉しそうにしておりました。
子育てをしている母親としては、息子の喜ぶことならば何でもしてあげたいと思い、CDやらコンポを買い与えました。
そして、息子は「ドラム!ドラムやりたい!」と言い、ドラムセットも購入してドラムをたたくようになりました。
しかしながら、ドラムを5分くらい演奏すると、「ゼェゼェ」言ってしまうという感じでした。
そのたびにお薬を飲んだりして休むという感じでした。
「お母さんありがとう!」
子育ても小学校、中学校、高校としてきましたが喘息は完治しておりませんでした。
しかしながら、中学生にもなると免疫が高くなったのかゼェゼェと発作を起こす機会がかなり減りました。
ですが常備薬は欠かせないという状態でした。
そして、やっと20歳になった時に病院へ行くと「やっとだ!やっと完治したね!」と20年にわたり担当してくれたお医者様が言ってくださいました。
そのお医者様もいいお年になり、「これでわたしも安心して病院を去ることができるよ」と言って、引退されました。
この帰り道のことです。息子が照れくさそうにわたくしの前に立って、「お母さんありがとう」と言ってくれました。
この言葉はわたくしの一生の宝ものであり、忘れることはないでしょう。