私が生まれ育った家は自他共に認める超貧乏生活を送っていました。
仕事を点々とする母はシングルマザーで支払いなんてしなくてもいいとかんがえているような人。
そのため、家賃はもちろん、電気やガスが止まるのも日常茶飯だったのです。
公営住宅であったため、家賃滞納には厳しくはなかったものの、母が支払えずに大人に怒られている姿を何度となく見てきました。
いつ電気が止まってもいいように、ろうそくは常に常備していたのですが、それすら購入しようとしない母を見かねて友達の家に遊びに行ったときに仏壇をお参りして、ろうそくをさりげなく貰うというようなこともしていました。
食べ物に対してはこだわりがあった母、少ない給料のほとんど全てを食べ物につぎ込んでいるようなところもあったのですが、大抵そのお金はすぐに底をついて、夕方の散歩と称して草をとりに行って、食べられる草を獲ってきてはおかずにしていました。
小さい頃は草を取って食べるという行為は楽しかったのですが、小学生3年生頃からはその行為が恥ずかしいものだと感じ、テレビで特集をされている大家族貧乏生活などと同じ、いやそれ以下だと感じるようになったのです。
お金がないため、母は大人になっても大人に支払いのことで怒られて、時には私たちが居留守を使わなくてはならなかったり、夏の汗をかく日もガスが止まってお風呂に入ることができなかったり、とうとう水道が止まってしまったこともあり、母に友達の家に泊まってきなさいといわれたことも多々あります。
家はあるのに生活することができない環境のなかで、思春期だからこそ家が貧乏であることをひたかくしにして、プライドを保ちつつ泊りにいったりしていたのですが、今思うと絶対に貧乏だから家を利用しているなということがわかっていたのだろうなと恥ずかしく思うことがあります。
先生からもお母さんと話がしたいと遠まわしに言われたことがあり、連絡がつかないからいるときに会いにいくと、私を抜きに会いに行っていたこともあるのですが、それが給食費の支払いや、遠足などのお金を支払っていなかったからだということは、いわれなくてもすぐにわかりました。
母からは遠足なんか行かずに休んでもいいよとまで言われたことから、私はこの貧乏生活を抜け出して、普通の生活がしたい、お金のことを考えずに暮らすことができるような生活を送りたいと思い、小学生でできることを考え、近くに自販機や子どもたちが昼間集まる場所を訪れました。
自販機はお釣りやお金が落ちていないかを探すため、子どもが集まる場所は漫画などが置き去りにされていることもあったため、それを拾って古本屋に売ってお金を貯めていました。
しかし、そんなことで貧乏生活を抜け出すことなんて到底無理なことでした。
結局、大人になって母と縁をきるまで貧乏生活を抜け出すことができませんでした。
今は母と離れて平穏な生活を送っていますが、大人に叱られる大人にだけはなりたくないと今も思っています。