私を精神的に追い込ませた結婚相手

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私を精神的に追い込ませた結婚相手

私は現在50代の独身女性で、首都圏で友人と一緒に暮らしています。これからお話しすることは、私が約30年ほど前の20代前半に結婚した際に体験した最低な結婚相手のことです。深く思い出すと今も体調が悪くなるので、直ぐ忘れられる様にサラッと書いて終わりにします。

私は地方出身です。私の地元はお米を作るのが盛んな地域でしたが、私自身は豆腐屋の娘でしたので、お米や農家のことはよく分かりませんでした。思えば当時はまだ女性自体、あまり大学に行く人が少なく、逆に大学まで行くと嫁のもらい手が減ると言われ、比較的学習意欲のあった私も両親にお金をかけさせてはいけないと考えて、短大を卒業して地元銀行に入行しました。

そして、働く中で地元でも大きな財産家であった農家の御子息に気に入られてしまい結婚するハメになりました。振り返ればあの頃の私は、まだ若くて世間知らずで真面目で、ただただ一生懸命だったんだと思います。結婚を前提にしたお付き合いが始まり、数ヶ月後には婚約、そして半年後には結婚していました。まだ23歳でしたが、当時はそれくらいの歳でお嫁に行くのが当たり前であり、家族や親戚も財産家の家に嫁いで、良縁に恵まれたと喜んでくれました。でも実はこれが地獄の始まりでした。

元夫はお付き合いしている時は、凄く紳士的かつ太っ腹な好印象で最高な男性でした。でも結婚後は変わりました。よく言う釣った魚にはエサはやらないと言うもので、凄くケチでした。結婚後、私は元夫の実家に入ったボランティアで奉仕する従業員みたいなものでした。私の役目は、元夫の実家の農作業や家事のお手伝いや兼業していた鉄工場の事務作業補助、そして、正直言うと1番きつかったのが、後継ぎの子を作ることでした。まだかまだかとプレッシャーが半端なかったのがトラウマになり、今でも体調が悪化します。

元夫と結婚式と披露宴を地元の農協会館で挙げた後、私達は欧州に新婚旅行に出かけました。海外旅行は大好きで、独身時代から同僚と出かけていたので慣れていましたが、男性と行くのは初で、しかも新婚旅行と言うことで、楽しさの反面もうこれで自由がなくなると思うと寂しさや絶望感で一杯にもなりました。

そして、問題は成田空港のホテルで宿泊した新婚初夜です。お恥ずかしながら胸もぺたんこでチビで男性経験のなかった私は、初めての男性でした元夫に抱かれました。でも痛くて痛くて身体が受け付けられなくて、最後は泣いてしまいダメでした。その日から毎晩そんなことが続き、苦痛の日々でした。

その後、月日が経ちました。何ヶ月経っても夫の●●●は入りませんでした。同じ様な本があり、凄い同感でした。入らんもんは入らんのです。でも無難に過ごせたのは約1年程度で、その後は段々と元夫や嫁ぎ先の態度も変わって行きました。やはり子供が出来ないと会話が続かなくなるのでしょう。あの沈黙とプレッシャーはもう懲り懲りです。

そして、その時が来ました。ある時、元夫は地元の消防団の飲み会があり、飲んだくれた末に帰宅後、ついに私に全部本音を曝け出したのです。「お前は子供も作れない役立たずで能無し、女性としての魅力がない、一度全てを義理の両親にも打ち明ける」と言った私を完全否定する2度と忘れることが出来ない最低な内容でした。立場の弱い私はただただ、ごめんなさいを繰り返して号泣するばかりでした。暫くして、家族会議が開かれました。そこで全部をお話ししました。結果、先ずは一度病院で診察してもらうことになりました。

私はやはりが小さくて硬いと言うことで、切開するのかとか、入りやすくなる様にクリームを試したりもしました。この時、元夫が極細タンポンを買ってきてくれて試してもみましたが入りませんでした。無理矢理、押し込んだら少し血が出てメチャクチャ激痛でした。とても元夫を受け入れることは不可能だと確信し、その頃から、この苦痛が続く現実から逃げて自由になりたいと思う様になり、他人の言葉が入らなくなりました。

その後も色々頑張りましたが上手く行かず、毎晩毎晩、私は元夫に怒鳴られ続けました。もうその怒鳴る声も聞こえなくなり、完全に鬱病になっていました。この時、既に私は使えない嫁だったのです。そして、遂にその時が来ました。ある時、「こらー聞いとるのか?」と怒鳴られた瞬間、思いっきり平手打ちを何度も受けて私は絶叫した後に気絶してしまいました。その後、義両親が呼んでくれたと思われる救急車に乗り、気が付きたら病院でした。そこで私は「もうダメです。私には嫁は務まりません。御免なさい。」とお話ししました。皆んな泣いていました。結婚して約3年が経った26歳の秋のことでした。

その後、本人同士はもちろんのこと、両家でよく話し合って円満の内、離婚となりました。ただ私自身はもう、地元には居られず、首都圏に独り新たな人生を歩むことになり今に至ります。首都圏は自由な生き方が沢山あって、やっぱり私には自由が1番似合ってると母親には言われました。私もそう思います。人生は人それぞれなのです。

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