ずるい先輩

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ずるい先輩

今回は実際に私の職場に居たずるい同僚の話をしたいと思います。
今でこそ男女間の格差も段々と少なくなりかけていて、元々は男性ばかりの職場でした工場の技術職にも女性が増えていますが、私が就職した頃は全く女性はいませんでした。

私は学生時代から理系科目が得意だったため、大学でも理学部数学科を専攻し、ゆくゆくは数学の先生になりたかったのですが、実際には教員採用枠は殆どなく、あっても後から知りましたが、人事権のある県教育委員会に知り合いが居る人や既に教員が居る家庭の御子息が有利な採用候補になっていて、何も知らない何の縁故もない私には到底無駄な就職活動となり、仕方なく1年間の就職浪人の末、地元の大手電機メーカーの工場で働くことになりました。当時、その工場では初の女性ソフトエンジニアと言うことで、当初は凄い期待された状況でした。しかし、現実は甘くありませんでした。

現在なら大問題ですが、私が採用された90年代はサービス残業が常態化されており、女性男性に関係なく、工場の新製品生産時は徹夜で生産ラインの立ち上げをしていました。実働毎月残業100時間以上なのに何故か総務への申請は一律20時間で、常に寝不足な上に新しい技術を概ね半期単位の期限までに日々習得していかなければならないプレッシャーもあり、あの頃の私は完全に疲れ切っていました。今で言えば、電通の長時間労働で自殺した高橋まつりさんを彷彿させる状況だったと思います。しかしまだ若くて元気だったので、何とか乗り切っていました。そんな時に忘れもしない一緒に働いていた5歳年上の先輩が凄いずるい人だったのです。

その先輩は正直な所、仕事に関しては全く無能な人でした。しかし、会社の上層部に有力な支援者がいると言うことで、何故かいつも偉そうで横柄な態度を取っていました。無能な先輩でしたが、一緒に働いている後輩達が有能だった為、毎度あたかも先輩が全てまとめ上げたかの様な結果になっていて、入社して2年目ぐらいからモチベーションは下がりました。そして、私も決断する時が来ました。
それは99年問題と言われ、21世紀になった時にパソコン等の情報機器や電源が上手く時刻を認識出来ず、全てリセット誤動作で異常停止する可能性があるとのことで対応した当時開発したばかりであった緊急用発電機の新製品生産ライン立ち上げ時に起きました。

私は当時生産ラインで扱っていた自動制御機器のMCUが新規になり、ソフトの書き込みも新言語になるとのことで、毎晩遅くまで同僚と新製品対応ラインを構築していました。そして、ほぼ徹夜で仕上げたその時、またあのずるい先輩が現れました。私達が仕上げたその成果は、今回もまたまるで毎日定時帰社の先輩が仕上げたかの様な形となりました。課長も恐らく社内政治の関係で何も言えず黙っていました。もう私は我慢出来ず、職場の皆んなの前で、今まで抱えていた不満や不公平感を全て打ち明けました。

結果、ずるい先輩は異動されましたが、資材部の部長にまで昇進しています。私は職場の皆んなから感謝されましたが、やはり居心地が悪くなり転職を余儀なくされました。
今では元々やりたかった数学の先生として塾の講師をしていますが、あの頃に味わったずるい先輩みたいな人と言うのは、実は今の社会の何処にでも生息していることが長い人生の中で分かりました。残りの人生は出来れば、そんなずるい人と巡り会わない様に過ごして行きたいです。

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