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近所の保育園で保育補助の仕事をしています。
当時は年長組のお手伝いをしていて、とても手のかかる子が多いクラスで大変でした。
物や人に当たったり感情的になって暴れる子どももいて補助でしたがそういう子どもの対応をすることもありただでさえ大変な業務に携わっていました。
その保育園では通常20人の年長クラスだと担任は2人なのですが、発達が気になる子どもが多いので担任が3人プラス私が補助で入っていました。
ある午前中の保育中、担任の当時25歳くらい3年目の男性保育士と保育室で10人位の子どもたちと過ごしていました。
一番言葉も乱暴で好き勝手な事をするカナトという子がいて、その時も部屋中を走り回ったり玩具を投げたり好き勝手なことをしていました。
療育などにも通っていて担任はそこの臨床心理士とも連携していてそこで言われているということで彼がいわゆる普通だと「走らないで」とか「玩具はなげちゃだめだよ」とか注意することは禁止ということになっていました。
私はいつも「ババア」と言われて、園庭では追いかけられたり、帽子をとって水たまりに投げられたり。そんな姿を担任や園長、副園長が見かけても素通りするということは多々ありました。
その日も狭い保育室に少ない人数でその中に彼がいるのはそれだけで私にとってはストレスでした。
案の定飽きてきて友達に手を上げ始めました。
ひっかかれたり、叩かれたりする子がいても担任は注意せずやられている子が我慢しているというのが常でその日も次々やられていました。
大人しい女の子が追いかけられてやられそうになったので条件反射的にカナトの手をつかんでいました。
その直後ターゲットが私に代り馬乗りにされて髪の毛を引っ張られて暫く耐えていましたが、ついに家庭内同様の素がよぎり乗り移りました。
息子に言うように「髪の毛を引っ張っちゃいけない!痛い」と大声で怒鳴っていました。
大きな鉄の立方体の箱の中の沈黙、私の怒鳴った声の余韻が響いているそんな長い一瞬の後、カナトは「大人が怒っていいと思ってんのかよ!」いつもの罵声でした。
男の担任は何も言わずニヤニヤ笑っていました。
私はその後は何を言われても黙っていましたが、その日を境にカナトからの私への攻撃はなくなりました。
それでも職場で子どもたちの前で感情的な姿を見せてしまった後悔の気持ちは、車を10台積み重ね上に乗せて抑えようとしたって無理で私を苦しめ続けていました。
最低な人の話ですがはもちろん幼児のカナトではありません。
男性保育士に他なりません。
皆で机を囲んで食べる昼食の場で私のこの日の事を連日笑い話として話し続けたのです。
しかも私がいる場でもです。
私も愛想笑いしていましたが内心は「殺してやりたい」位の気持ちでした。
それが夏のことで私は次の年度末で他の保育園へ移動することになりました。
登園最後の日は刑期を終えて「やっと外に出られる何とか死刑は免れ自由になれる」そんな気持ちでした。
ところがその日とどめの一撃があったのです。
その男性保育士から「皆で見てまた笑っちゃいましたよ」と気がかりな言葉と一緒に先生からのメッセージカード集を手渡されました。
先生からの思い出のエピソードや感謝の言葉、涙を浮かべながら見ていました。
ページをめくった瞬間、あまりにも上手い私の似顔絵が目に飛び込んできました。
よく見ると頭に角が描いてあります。
息が出来ませんでした。
とどめの一言「本当に怖かったです(笑)」。
男性保育士のページでした。
その時の気持ちは死刑と天秤にかけたら微妙。
荷物をまとめて挨拶を終え自動ドアを出て少し歩きまだ保育園が見える場所で深呼吸しました。
人目を気にしながら私がとった行動は最高でした。
男性保育士のページを破ってビリビリにして泥水に捨ててやりました。
本当に最低な男との関係を解消してやりました。
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