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両親は若くして結婚した時、父は自営業で仕事を頑張っていました。
その頃は羽振りも良くて外食にも週1で行ったり、高級車に乗ってという暮らしをしていました。
ですが景気が悪くなると同時に、仕事が減り、そのうち父から生活費がもらえなくなってしまいました。
子どもは小学生と中学生、これからどんどん生活費どころか教育費がかかる年頃です。
母は最初の頃は父の仕事を手伝っていましたが、収入が減ってしまったので独身の時にしていた看護師で働くことにしました。
看護師というと給料が良いイメージを抱かれるかも知れませんが、夜勤のできない看護師はそれ程収入がいいわけではありません。
家のローンと生活費、子ども達の教育費を合わせるとぎりぎりの生活になってしまいました。
父にはお金のことを言うとケンカになりますし、夫婦間でお金のことはあまり話さなくなりました。
たまに両親がお金のことで大ゲンカしていて、口出しをしたらものすごく父が怒り私に暴力を振るったこともあります。
正直、別れたほうが母子手当てももらえて楽だったかも知れません。
生活費を入れないクセに、自分のビールだけはちゃんと買ってくるのをみて母はいつも陰で怒っていました。
どうして離婚しないのかが子ども心によく分かりません。
貧乏でも子どもはお金が掛かります。母は自分のものは一切買わずに、私たちのものを買ってくれていました。
小学生は給食があるので良かったのですが、中学生はお弁当を毎日作るのが苦痛です。
彩り考えて果物や野菜を詰める余裕がなくて、茶色いお弁当ばかり持って行きました。
友達の前でそのお弁当箱を開けるのがすごく恥ずかしかった記憶があります。
洋服も新品を買ってもらった記憶はほとんどありません。
古着屋に行くと1枚100円くらいから買えますので、その中で状態の良い、好みのものを一生懸命探していました。
靴下に穴があいてゴミ箱に捨てたときには、あとで縫った靴下が洗濯されて戻ってきました。
靴も穴が空いたら母が縫って閉じてくれていたので、底に穴が空くまでいつも履いていました。
中学生にもなると周囲の子は美容院に行っていましたが、私はいつも自宅で母のセルフカットです。
母がずっとカットしてくれていたのでおかっぱみたいなヘアスタイルでしたが、そのうち上手になってショートにカットしてくれることもありました。
高校進学の頃には塾に行く子も多かったのですが、最初から言い出すことができずにいました。
すると母は仕事が終って私たち子供が寝た後に、教科書をめくって暗記カードを作ってくれていたのです。
公立高校に無事合額できたのは母のお陰だと今でも思っています。
高校生になるとバイトが出来るので私も少し金銭的に余裕ができて、安いお店ですが母に洋服をプレゼントすることもありました。
貧乏な生活がその後も終ることなく、私が奨学金で大学に入学した頃に両親は離婚することになりました。
当時はとても辛かったのですが、大人になってみると母が貧乏なりに大切に育ててくれたことは忘れません。