わたしは当時、小学生でした。両親と姉、祖父母と暮らしていました。あるときから、父が拾ってきたりゅうりゅうというネコを飼い、みんなでとても大切に育ててきました。りゅうりゅうは、とてもいい子でした。わたしは初めて飼うネコに、なんて柔らかくてあったかい生き物なんだろうと毎日胸をときめかせていました。
りゅうりゅうはネコなので、家を出てあちこち遊びに出かけます。いつぞやは、よそのおうちで半分家ネコのようにごはんをもらっていた時期もあったようです。祖母の畑仕事の傍ら、草をパンチし虫を追いかけぴょんぴょんと跳ねて楽しそうでした。家族みんなから、りゅうりゅうはとても愛されていました。
そうして何年か経ったある日、祖母か母だったかが家の前にある道路でりゅうりゅうが車にはねられたようだと大騒ぎしていました。わたしは小学校から帰ってきてその知らせを聞き、ひどく驚きショックを受けていました。母と父は動物病院へりゅうりゅうを運び、そのまま夜遅くまで付き添っていました。わたしはまだ幼く、りゅうりゅうの命が危ないとは考えることもできませんでした。やがて、両親が帰ってきて「りゅうりゅうは死んだ」と聞かされました。わたしは姉と一緒になってわんわんと泣きました。家の前の道路を憎いと思いました。その後も、ネコを何匹か飼いましたが、わたしの中ではりゅうりゅうが一番のネコだと思っています。
それから何年か経ち、わたしは中学生になっていました。その頃もネコは飼っていました。りゅうりゅうとの思い出は、胸の中で静かに沈殿していました。ふと、姉とりゅうりゅうの話になったときのことです。姉が「りゅうりゅうは安楽死を選んだ」と話し始めたのです。りゅうりゅうは、下半身を自動車に敷かれ、自力で歩くことができなくなっていました。前足だけで、自宅に向かってずるずると動いていたようです。家の前の溝あたりまで自分でたどり着き、その状態で家の者に見つけられて病院へ運ばれました。りゅうりゅうは重篤でした。当時は今のように動物用車椅子のようなものもなく、このままでは下半身は壊死していくだろうし、今までのように歩いたりもできない、自分で生きていくことはできないと医師に言われたそうです。尿道や肛門も潰れてしまっているので、長くはもたないとも。そこで、その場にいた両親は断腸の思いで安楽死を選んだというのです。
この話は、幼かったわたしには伏せられました。ただ車にはねられて死んでしまったと、わたしは信じていました。この真実は、あまりに衝撃でした。りゅうりゅうは生きたかっただろうか、痛くて苦しくても、家の近くまで這ってきたりゅうりゅうを思うと、わたしは大きな悲しみに打ちのめされました。わたし以外の家族がついた嘘は、数年経ってわたしをズタズタにしました。家族は、わたしのことを思いその嘘をついたのです。頭では理解できる年頃になっていました。でも、あまりにも辛すぎました。そばにあった新聞紙をぐちゃぐちゃにして、わたしは泣きました。りゅうりゅうが死んだ時よりも、わたしは号泣したのです。
今も、当時を思い出すと鼻の奥がツンとしてきます。家族のついた嘘、それはおそらく今の自分も選択するだろうと思います。大人たちが小さなわたしを思いやった、優しさだったのです。誰が悪いわけでもありません。ただ、りゅうりゅうは苦しむ時間が少ない方を選んでもらったことが、わずかな救いだと、今では思えるようになりました。その嘘の本当の意味は、もう40代も半ばになったわたしが、やっと呑み込むことができたものだったのでした。