私と主人は20代半ばに友人の紹介で知り合いました。
最初から気の合う人だなと思いました。付き合い始めてすぐに、仕事の都合で国際遠距離恋愛に。
ですが、8時間の時差の隙間を縫って、主人は頻繁に連絡をくれました。
また、私は、「あなたと2年後、駐在期間が終わったら家族になりたい。」と、常々、言われていました。
ただ、一つだけ、将来を懸念するものがありました。
それは主人の持病です。生まれつきの心臓病で、20代ですでに心臓ペースメーカーを植え込み、毎日沢山の薬を服用していました。
ですが、当時は健常者の方と同じように仕事をしていました。
将来を考えると不安でしたが、それよりも私は「この人と結婚して、もし結婚期間が短くて終わってしまっても、思い出だけで生きていける!」と、強く思いました。
それ程、主人は優しく、強く、魅力的な人でした。
そして結婚、何事もなく過ぎてゆく日々、3人の子供にも恵まれました。
家族でキャンプは毎年恒例、海外旅行にも度々行き、家族の想い出はどんどん増えました。
そんな優しく、温かい日々が10年続いた頃。主人は「薬が効かなくなった気がする。」と、言い始めました。
初めは疲れかなと言って、仕事にも行ってましたし、病院で薬を変えてもらったりして何とか日々を過ごしていました。
ですが、3か月もすると仕事に行けなくなる程になってしまいました。大きい病院で検査をし、ペースメーカーの機種変更をすることになりました。
その手術は無事に終わり、また主人は元気な姿に。
ですが、1年後にまた体調不良の波がやってきました。それでも、その夏はキャンプに。ただ、学校の関係で長女と次女は行きませんでした。
まさか、それが最後のキャンプになろうとは、その時は思わず、「また行けるときに家族そろって行けばいいかな。」という気持ちでした。
この時の体調不良は、ペースメーカーの一つの機能が止まってしまっている、というもので、今度は日本で唯一、その手術をできるという大学病院に。
手術室に入る前、主人は希望をもって「手術が終わったらまた、元気になって家族で出かけよう!」と、言っていました。
ですが、4時間の手術の後、集中治療室に運ばれた主人。この回の手術は失敗となり、1週間後の再手術となりました。
この時の主人の絶望の顔は忘れられません。一気に体力を消耗し、歩くことが出来なくなってしまいました。
再手術は成功したと言われましたが、ここからの体力の落ち方は凄まじかったです。家に帰りましたが、もう仕事には行ける体ではありませんでした。
本人も、私たち家族も一番恐れていたのが、不整脈の発作です。いきなり何の前触れもなく倒れてしまうのです。
ペースメーカーが電気ショックを与えて、蘇生するまでの時間の、なんと長いこと。主人の名前を叫びながら、泣くしかありません。
一度は、台所の棚の縁に頭を打ち、流血、何針か縫う大惨事に。またある時は、外出先で倒れ、椅子から落ち、救急車で運ばれたり。
また、低血圧で気が遠くなるのか、ぼーっとしている事が多くなりましたし、横になって眠れないと言い、座ったまま寝る日々。
子供たちは小学生2人と2歳児でしたから、私は「パパは大丈夫だよ。」と、平然を装って、心配させないようにするのが辛かったです。
子供たちが寝た後、主人に隠れて泣く日々でした。
そのうち、私も動機、息切れ、、めまい、喘息の症状が出るように。
病院で検査しましたが、異常はなく、これは、心労からくる全身症状との事でした。また、食欲もなくなり、一気に8キロも痩せました。
例えば、私一人で外出すれば、携帯の着信があるたびに、主人に何かあったのでは、と心臓がもたないくらいドキドキしました。
ふといつも前向きな主人が「もう、辛すぎる。俺はもうダメかな。」とつぶやいた時は、私の胸は張り裂けそうでした。
ある日。義母が「いつもありがとう。私が息子(主人)を看るから、あなたは子供と暫く実家に帰って息抜きしてきたら?」と、提案してくれました。
その言葉に甘えて、2週間の予定で飛行機の距離の実家へ。しかし、主人が気になって息抜きどころではありません。
四六時中、心の中で主人を心配し、明るくなれない毎日でした。
虫の知らせというのでしょうか。ある日、バスに乗った私は「最悪の電話が来そう」という気がしてなりませんでした。
その晩、主人の兄から電話が来ました。
「弟(主人)が亡くなったよ。眠るようにして、苦しまずに亡くなったよ。
きっとあなたと子供たちに死にゆく姿を見せたくなかったから、このタイミングで亡くなったのだと思う。」と。
大声で泣きました。子供と4人で集まって、朝から晩まで泣きました。実家から自宅に戻る道中も大声で泣きました。
家には、私が欲しかったお菓子の型が届いていました。ネットショップで主人が買ったようです。
私が好きだった、主人の手料理が冷蔵庫に入っていました。主人の手帳には、次の家族キャンプに持っていくものリストが書いてありました。
それらを見て、主人の優しさを感じ、また、生きる希望があった事に無念さを抱き、また、涙が出ました。
子供たちの名前は主人が付けました。今思うと、本当にそうして良かったと思います。
あれから2年経ちました。短かった結婚生活、それでも、主人と結婚してよかったです。
今はまだ、両親そろった家族連れや、カップルを見るのが辛いです。「パパ」と呼んでいるどこかの子供の声が辛いです。
また、末っ子の長男がパパを求めてなのか、男の人と遊んでもらうのをとても喜びます。その姿もまた、私には辛いのです。
ですが、前向きに生きないといけませんね。主人の誕生日には、毎年、義家族も集まって、誕生日を祝っています。
涙涙の誕生日会になってしまいますが・・。
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