これは私の母の話です。
母と父が知り合ったのは母の職場で、父は取引先の方だったそうです。
付き合い始めた二人はとても仲睦まじかったそうで、私が幼い頃自宅には母と父がデートしながら幸せそうに微笑む写真が何枚も残されていました。
それを見る度に私はいつも疑問に思ったものです。
「こんなに仲が悪いのに、何故写真の二人は幸せそうに笑っているんだろう?」
そう首をかしげるぐらい、私が産まれた後の二人の仲は冷め切っていました。
理由は幼子にも明白で、父のDVと借金でした。
未だに忘れられない父の一言がありまして、小学生ぐらいの私に向かって「借金は母親名義でしているから、俺に返済義務はない。俺は何も悪くない」という言葉でした。
法律的にはその通りでしょうが、子供にだって父親の言い分は間違っていることが分かります。
こんな考えの夫を持てば、妻が離婚を考えるのも当然の結果でしょう。
しかし私の記憶にある内で、母が離婚を決意したのは一度だけでした。
私が小学生の頃です。
普段歩いたことのない道を母に手を引かれてとことこと歩き続け、たどり着いたのは大きな建物でした。
当時は何かわかりませんでしたが、今では分かります。区役所でした。
区役所に入り、母は私と待合ベンチに腰掛けるとため息ばかりついていました。
そしてぼそっと「あそこの窓口のおばさんに、離婚届くださいと言ってきて」と私に指指しました。
自分で行けば良いのにと思いつつも、私は逆らうことが出来ませんでした。
言われたとおり窓口の方に母の伝言を伝えると、驚いた顔で私を伴いベンチにやってきました。
当然です、小学生の子供が「離婚届ください」なんて普通言いません。
そのままベンチで母の身の上話を聞いてくださった職員の方は、「こんな小さい子供も居るのに、離婚しちゃ駄目よ!考え直して」と母を説得しました。
母は涙ながらに職員の方の話を聞いています。
でもきっと職員の方は、傍らに居る子供がこんなことを考えていた事には気がついていなかったでしょう。
「余計なことを言ってくれるなあ・・・離婚した方がずっと幸せなのに」
小学生の子供にこんな考えを抱かせるほど、家庭内の状況は酷かったのです。
父からのDVを受けた母が、そのいらだちをどこにぶつけていたか想像して頂ければ分かって頂けるかと思います。
この時点では、母は離婚を諦めました。
そんな出来事を知るよしもない父が態度を改めるはずもなく、家庭内の状況は年を経る毎に酷くなっていきました。
私は学校卒業と共に家を飛び出しました。
家を出る時、自分を捨てて出ていくのかと母に恨み言を言われましたが、父から一度も守って貰えたことはなく、いらだちのはけ口にされていた私がどうして母を救わなければならないのでしょう。
結局父と二人きりになった家で母は耐えられなくなり、私が家を出た後離婚しました。
よく「子供のために離婚を我慢している」というお母様方の話を目にしますが、本当に子供のためを考えているならまず子供の意見を聞くべきだと思います。
荒れた家庭で思春期を過ごすぐらいなら、片親家庭の方がずっとましと思う子供さんもいると思います。