私がまだ20代前半だった頃の話です。
北海道でパティシエをしていたのですが、やはり東京で技術を磨きたいという事で上京しました。
しかし、知り合いもいなかったのと、将来的にカフェを出したいという夢があったので、カフェのノウハウを教えてくれるスクールに通うという名目で上京しました。
もちろん、親は大反対で上京するなら応援はしないという事で、金銭援助は一切ありませんでした。
でも、やりたいことなら何とかなるかと、荷物一つで上京。
しかし、やっぱり都内では、条件に合う生活できるアパートが少ないのと防犯の観点から神奈川の川崎に住むことにしました。
治安はあまりよくはなかったのですが、物価がやすかったのでしょうがないという感じで住みはじめました。
日中はカフェスタッフとして働き、帰り廃棄の食材をこっそり持ち帰ったり、見切り品で何とか飢えをしのいでいました。
週一回のスクールで調理を学んでいたのですが、そこで自分が作った料理が、まともなごはんだったように思います。
貧乏でおいしいものが食べられないなんて、上京した意味あるのかなと考える事もありましたが、スクールで同じような境遇の友達と楽しみながら貧乏をしていたように思います。
深夜まで仕事をしてくたくたよれよれの服装で電車に乗った事があって、よっぽどひどい感じだったのか、お疲れのサラリーマンに席を譲ってもらった事も何度かあります。
周りからみるとそんなにひどいのかと、今となっては笑い話ですが、乙女心としては恥ずかしかった事もありました。
お金がなくて、電車に乗れずに2時間歩いてスクールに通った事もありました。
歩いていると見たことがないかわいい雑貨屋さんを見つける事ができたり、安いパン屋さんを発見する事ができました。
見切り品のバナナとヨーグルトの生活が続いたのに肌の調子が良かった事など、貧乏でも楽しもうと思えば何とかなるものかなと思いました。
でも健康保険、年金などには本当に苦しめられました。払わないという選択肢もあったのですが、後で苦しむのはもっと嫌だったので仕事を増やしなんとかギリギリ生きていたという感じで2年間を過ごしました。
スクールを卒業し、正社員としてレストランで働くようになって保険や年金の恐怖から解放され、仕事で美味しい物を食べる事も増えました。
友達と一緒にご飯を食べられるようになった今も正直、他の仕事をしている人よりお金があると言う感じではありませんが、貧乏からは脱する事ができたのではないかと思います。
でも、あの時、貧乏を経験したおかげで今の生活で役立っている事って沢山あるので経験って大事だなと感じています。
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