患者達の身の回りの世話をやらされた小学生のときの喘息入院

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患者達の身の回りの世話をやらされた小学生のときの喘息入院

私は物心付いた頃から喘息を発症し苦しんできました。最初は風邪をひいた時に軽く咳き込む程度のものでしたが小学生になり酷くなり始め、ほぼ毎日夜中に発作を起こし呼吸困難で病院で治療を受けていました。

しかし小学3年生になって間もない頃、夜中に大きな発作を起こして危険な状態となり病院へ担ぎ込まれました。

軽く意識障害まで起こすほどの症状でしたが医師の処置で乗り切ることが出来ました。ですが気管支の炎症が酷く、いつ大規模な発作を起こしてもおかしくない状態であったためその場で入院することになりました。

すぐさま点滴を受けることになりましたが症状が非常に悪いため、24時間間隔を開けることなく投与される事となりまともに動くことも困難な状態となりました。

とはいえ、その間の食事や着替え、その他あらゆる面で医師や看護師さんが丁寧に対応してくれたので不便に思うことはなく過ごす事が出来ました。

1週間ほどもの間点滴を受け続け、ようやく針を抜かれましたが状態は悪く朝晩の点滴での治療は続行との事でした。

点滴以外の薬も多数投与されたのですが、それでも改善の兆候はないまま一ヶ月が過ぎました。その間は発作の危険があるため動き回ることは大きく制限され、1日の大半をベッドの上で過ごさねばならず精神的にもとても苦痛だったのを覚えています。

食事も体の状態や投与されている薬の影響を考えての事で常におかゆでした。
おかずも納豆や茹でただけの塩分を控えた味の薄い野菜中心の精進料理のような物ばかりであり、子供にとってかなり厳しいメニュー内容なので食も進みませんでした。

今では行動の制限や食事の内容の全てが自分の体のためを考えてくれてのことだと理解できるのですが、子供にとってはただただ酷な仕打ちに苦痛しか感じることが出来ず、ちょくちょく医師の目の届かないところで走り回ったり売店で好きなお菓子などを買いあさり暴食し、結果具合を悪くして治療を長引かせるなどして迷惑をかけてしまっていました。

医師や看護師だけでなく、具合を悪化させる度に母親にも心配をかけてしまっていたので反省しています。

このように苦痛ばかりの入院生活ですが、特に大変だった事があります。私の病室は6人部屋で、私以外は全員老齢の男性ばかりでした。

皆喘息や重大な病気を抱えており、病状も悪い方達なので満足に動けない状態でした。看護師さんがある程度は対応していましたが、全員に付きっきりというわけにも行かず不便にしているようでした。

 

そんなある日、一人の同じ病室の男性が私に「水を持ってきてくれ」と頼んできたので断ることなく受けました。そうしたらそれを見ていた他の皆も次々と私に身の回りの世話や雑用までを任せるようになってしまい、1日中働かされるような状態に。

子供からすれば大人の男性の命に逆らうことは恐怖だったため言われるがまま従っていました。

看護師さんが気付いて男性達に注意してくれるまでの半月ほどの間、酷使した体は状態が改善することもなく、入院が長引く事になってしまいました。

悪びれる様子もなく笑い話で片付けられた時のことは今でもはっきりと覚えていて、忘れることはないと思います。

結局私が退院できたのは入院から3ヶ月後の事でした。全てにおいて苦痛でしかない3ヶ月でしたが、これだけの苦しさを体験したことにより病気や健康のことを真剣に考えるようにもなり、そう言った意味合いではいい薬になったと思います。 

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