我が家の長期に及んだトラブルは旦那が病的に競馬好きということでした。
結婚前から一緒に競馬場に行ったりもしたのでやっていることは勿論知っていましたが、異常なのめり込みようだと言うことを知ったのは結婚後でした。
当たることもありましたが、その当たった分をまた全てかけてしまうので外れるとスッカラカンになってしまいます。
私立の学校で体育教師をしていて、近くもないのに、とにかく一番早く学校に行き学校の周りを掃除したりもしていたようで、とにかく勤務態度は同僚からも生徒からも称賛されていたようです。
そんなストレスが全部競馬で解消されていたのかもしれないなとも思います。
給料が入るとすぐに競馬に全て使ってしまうので生活費は私が稼いだお金で賄っていました。
子どもも2人いて長女が中学生に上がるときには、制服とか進学準備のお金が用意できなくなって少しお金を出して欲しいと頼むと、給料日からそんなに経っていないのに「今はない」と言われショックでした。
「こんなに早くなくなっちゃうっていうのはどういう事なんだろう」と驚きました。結局私の実家の方で工面してもらいました。
もうこんなに長い間生活費も入れないで一緒の家で暮らしているのはひとえに子供たちのためでした。体育教師だけあって長女にはテニスを教え、長男には野球を教えてくれました。
長女も長男も私たちがたまに喧嘩しているのを聞いていたので事情は分かっていたと思います。
でも言葉にはしませんが「離婚しないで」という気持ちがいつも私に伝わってきました。
たまに、すごく自分だけが孤立しているような被害者意識にさいなまれ死にたくなるような時もありました。
競馬をやめるのは無理なんだろうとは思ったけれど、少しでも生活費を入れてはくれないかと今後の事を考えると目の前が真っ暗になりました。
そんなある日、携帯に知らない電話番号から着信が何度もありました。
病院勤務なので休憩中にかけてみると旦那の学校からでした。
旦那が急にろれつが回らなくなって、立ち上がろうとして転倒して救急車で病院に運ばれたというのです。
慌てて駆けつけると、脳卒中の集中治療室のベッドの上に旦那は横たわっていました。
意識はしっかりしていて少ししゃべり方はいつもと違いましたが会話も出来ました。
脳梗塞という診断で一週間後、専門病院に移ってリハビリをすることになりました。
3か月間の懸命なリハビリで何とか以前と同じような生活ができるようになりました。
そして、その3か月間競馬から離れたことで、そちらの病的な状態からも立ち直ることができたのです。
本人は病気とは思っていなかったのですが、入院中カウンセリングを受ける機会があってその時に気づかされたようです。
旦那も今回後遺症も残らず回復できたことを通して私たち家族への感謝の気持ちも持ってくれたようで、これまで長い間生活費を入れなかったことを涙ながらに謝罪もしてくれました。
別に謝ってもらわなくても全然良かったのですが、私も涙を流してこれから一緒に子供たちを育てていくことを誓いました。
脳梗塞になったことで我が家の長い間のトラブルが解決されることになりました。
何に感謝していいのかはよく分かりませんが、この人生の展開、私にとって良かったと言えるでしょう。
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