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私の家は母子家庭ということもありとても貧乏で、電気が止まるのは当たり前、家賃も支払えずに月に何度も督促に訪れるという光景を眺めながら育ちました。
そんな貧乏な我が家がとても恥ずかしくて、私は小学生の高学年になる頃には提出しなくてはならないお金を支払うことができないということを先生に言うことができませんでした。
・貧乏なことを隠そうとしました
「忘れてた」「そんな期日なんて守ってられるか」というようなスタンスを取り、お金がないから提出できないのではなく、私がちょっと悪い不良的な生徒だから出さないんだよというような雰囲気を醸し出して、我が家が貧乏なことを隠そうとしました。
そのため、私はだらしない生徒、面倒な生徒というようなレッテルを貼られていたと思います。
それでも、我が家が貧乏でたった千円程度も支払うことができないということをばれたくなくて、日頃からちょっと態度が悪い生徒を演じていました。
・お金が封筒ごとなくなっていた
そんな日々は高校生になっても続きました。
相変わらず支払いは困難。
それでも私はバイトをしてせめて高校時代は支払いが滞ることない普通の生活をしようと頑張っており、学校に支払うお金は自分で確保をしていたのですが、ある日学校に支払うために封筒に入れて保管していたお金が封筒ごとなくなってしまったのです。
私はすぐに母を問い詰めました。
実は母はてぐせが悪くて、お年玉などはなくなるのが当たり前。
小さい頃から積み立てて貯金していたと思っていた通帳の存在さえもないのです。
すぐに母が犯人だと思って問い詰めたのですが知らぬ存ぜぬの一点張り。
私はあまりにもムカついてしまい、母が犯人であることは明らかなので「盗ったのでないなら警察を呼ぶ」と言うと、大慌てで「たかだか二万位で呼ぶのは恥ずかしい」と言ったのです。
金額を言っていなかったので母の犯行が判明したのです。
私はまたしても先生に悪ぶって、「忘れてた」「親と話さないもん」とふざけたように言い捨てて、バイトの給料が入るまで忘れた、「まだ家に帰っていない」と悪ぶって支払いを伸ばしてもらいようやく支払いができて先生に持っていきました。
先生は「持ってきてくれるならいいよ」とあまり気にしていないようでしたが、遅れて持っていくのはとても恥ずかしく、貧乏は嫌だと痛感しました。
バイト代だけでは足りないときには忘れた作戦で貧乏であることを隠し続けることができたと思ったのです。
・貧乏なことに気がついていた。
そして卒業式が近くなったとき、先生に「三年間で支払いが確認できないものがある。」と言われたのです。
金額は四万円。ギリギリの生活をしていたので親に話すと言っていたものの、貧乏な我が家に四万円支払うことなんて出来るはずもなく、とりあえず二万だけ支払い、四万円だったけなどと把握してませんみたいな態度でそのまま卒業しました。
そして、初めての給料日に残りのお金と菓子折りをもって元担任に会いに行くと先生は菓子折りだけ受け取り、「そのお金はこれからの足しにしなさい」と言われたのです。
先生は我が家が貧乏なことに気がついていたのです。とてもありがたくて泣いてしまいました。
きっと悪ぶっていても他の先生にも我が家が貧乏なことはわかっていたはずです。
・まとめ
貧乏に振り回された学生時代。
もうあんな思いをしたくないと今は親とは縁を切り支払いが滞ることなく暮らしています。
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