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私は現在会社員ですが、高校を卒業した後、親の反対を説得して放送系の専門学校へ進学しました。
その際「自分のやりたいことをするんだから、ここから先はお金は出さない」と父に言われ、学生ローンを組んで、借金して学費を工面しました。
なので、新聞配達のバイトをしながら、昼間は学校へ行き、夕方に夕刊、折込をして、朝は3時から朝刊配達をしていました。
月6万づつ返していくという契約で、もし返しきれなかったら休学してでも働いて返してもらう、という契約でした。なのでなるべく給料は返済にまわすようにしました。
そこから貧乏生活が始まりました。新聞配達なので汗をかきますが、極限まで風呂場でささっと洗う程度で、ちなみに住み込み寮だったので、風呂トイレは共同でした。けっこう何回かは、「うっ・・・」と鼻をつままれることもありました。意外と自分の臭いってわからないものなんですね。
喉が渇いても、ジュースも当時は110円でしたが、その出費すら痛いので、寮の人が捨てた歯磨き粉をかき集めて、少し残っているので、それを1.5Lのペットボトルに水を入れて、歯磨き粉を少し溶かして、ジュースみたいにして飲んでいました。汚いですが、あの当時の私にはそれでも救いでした。
父は反対でしたが、母は心配してくれていて、仕送りをしてくれました。インスタントのものばかりでしたが、箱の内側に封筒が貼ってあり、1万円が入っていたこともありました。なんとか忍ばせてくれた1万円だったのでしょう。炭水化物オンリーの生活だったのが原因なのか、少し太ってしまいました。
とにかく安い米か小麦粉、そんな生活でした。小麦粉のみを焼いて、ソースとマヨネーズをドバッとかけて、「なんちゃってお好み焼き」と白米でお腹いっぱいになりました。
今考えてみれば、栄養が偏りまくりの毎日だったと思います。白米とソース片手に、かぶりついてお腹を満たしていたときもありました。
給料は借金の返済と寮の家賃、その他光熱費で、手元に残るのは5~6万円でした。その中からやりくりしていました。
20歳くらいだったので、どこかへ遊びに行きたいし、お酒だって飲みたかったですが、徹底的に我慢しました。よく男女の同世代くらいのかたまりが夜、ほろ酔いであるいて「キャッキャ」しているのが悔しくてたまりませんでした。
そんなこんなで、卒業までには借金は返しきりました。やはり連帯保証人に親戚のおばさんがなってくれたりしていたので、迷惑は絶対にかけられないという思いもあり、また夢もあったので、貧乏生活がそんなに苦というわけでもありませんでした。若かったから出来たのだと思います。
あと夢があったから、なんちゃってお好み焼きでもおいしく感じたのだと思います。夢があればなんでも美味しく感じましたね。
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