貧乏だったけど「生きていた」と感じる濃厚な日々

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貧乏だったけど「生きていた」と感じる濃厚な日々

40歳を超えたころ、もともと不仲だった父と大喧嘩して家出を決行。

もちろん一人暮らしなどしたことがなかった。当時はリラクゼーションサロンに勤務していたが生活はギリギリ。

職場のみんなには「40で家出!チューボーか!」と突っ込まれたが、ラッキーにも年の離れた男性とお付き合いをしていたため、最低限の助けはしてもらえた。

家が決まるまでは彼の家においてもらい、生活品を入れた大きなバックを毎日もって通勤。なんかかわいそう・・といわれていた。

やっと家も決まり、ゆっくりと睡眠をとることが可能になった。

最初の家は、お風呂なし。電熱線がグルグルしている電気調理器。小さい身体ではなかったが流しにて身体を洗っていた。

真夏は濡れたまま扇風機の前へ!段々と寒くなるほど冷えてくる!

ある日、友人からジップロックに入ったおかずをもらった。その袋は、大事にして再利用をしていた。

さんざん使い古しておやつを入れて持ち歩いていたところ友人が大笑いし、その後悲しそうな顔で見つめる。

その袋には「大根煮」と書かれていた。大事に使っているのがわかったんだと思う。

料理は節約のため頑張った。なかなか熱くならない電熱調理器だったので小さな机にガスコンロを置いてわりと強火で調理していた。

近くには布団なんかもあったのに!今考えると怖い。

トイレはなぜか一段高いところにあった。ドアの下のほうに少し空間?がありトイレだとわかる。

実家暮らしだった私は、同じ部屋にトイレが見えるなんて!と最初はショックだったが、段々と慣れた。

楽しみは給料日のあと、安い八百屋が商店街にあるので野菜を買いだめをすること。

今思うと、洋服も自分ではほとんど買えず、おしゃれではなかった。

たまに制服で通勤してしまう。で同じ職場の人に「宣伝になるよ」と喜ばれた。

家の近くは観光地のようだったため、可愛い雑貨屋さんやおいしそうなカフェもあった。いつか行ってみたいなぁ・・と思いながら、ほぼ行けなかった。

職場の仲間も転職組が多く、頭が良いが、貧乏な人が多かった。私と同じような生活をしていたので、恥ずかしくもなかった。

が!女として頑張らなければいけない時期にこういう生活をしていたため、ちょっといろいろ失うこともあった。

だけど「生きている感」は強く感じられた濃厚な毎日だった。

貧乏でごはんもおやつも多くは食べられなかったのに痩せなかった。なぜだろうか。

今でもたまに当時の家を見に行くことがある。

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