意地悪な姑と最終的に決別

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意地悪な姑と最終的に決別

過去の話しとなります。
嫁に嫁ぎ、夫の実家に入ったわけではありませんが、夫の実家近くに賃貸住宅を借り、結婚生活を始めたました。
まずは私が夫が借りた住宅に引っ越しした日のことです。
私は両親にも手伝ってもらい夫との住まいに引っ越しをした日のことです。
私の親が向こう様のご両親に挨拶に行こうと引っ越しが終わり、その後、夫の実家に義理父、母に挨拶に行き、実家の居間に座り、両家が顔合わせた瞬間でした。
「あなたたち!どういう常識をもっているの?引っ越し前に、こちらに来て挨拶するのが礼儀ではないの!」と怒り心頭で義理母が開口一番に私の両親を責めたのです。
私は両親がなぜ怒られなければならないのか?また両親が怒られてる姿を見て涙が止まらなくなりました。
見かねた義理父は義理母に「いいかげにしろ!やめないか!」と義理母を怒鳴りつけていました。
義理母とは、婚約前から何回か、会話したことはありましたが、怒鳴るような人とは思ってもいず、正直精神的に参ったことは覚えています。
これが、姑との闘いの火ぶたとなろうとは正直思ってもいませんでしたが、姑の宣戦布告としか思えないような出来事でした。
さらに思い出しますと、義理母が風邪を引いたと聞き、暖かいうどんでも食べてもらおうと夫と実家に行き、「お母さん、体調は大丈夫ですか?うどんを作ってきました。宜しければ食べてください」と、気遣ったのですが、私の作ったうどんには手も付けず、自分で作ったおかゆを私の作ったうどんを目の前に置いたまま、全く手もつけず、無視したままおかゆを食べていた光景を今も忘れません。さすがに夫が「なぜ無視してる?」と義理母に怒りを露わに話しかけましたが、それも無視。
私達はその場に耐えられず帰宅したのです。
そして、やがて第一子ができ、孫ができると、手のひらを返したように義理の母の態度は急変したのです。
なぜなら孫に会いたいからです。
しかし、今後の生活設計を考え、子供が3歳になる頃に私は働き始め、子供は保育園に預けたのです。
すると、それが面白くないらしく、「まったく、あんたは自分で育てる気がないのかい?」と嫌味と取れる電話がきたので、「今後の生活を考え、貯金を増やすために働いています」と返答したのですが、「まったく、今の親は何を考えているのか?さっぱりわからない!」と一々、人の生活にケチをつけてくるようになったので、「お母さんの家と私の家とでは、生活設計が違うのです!」と言うと、「口だけは達者だね!」と、孫を見せに行かないことが気に入らないようで、日曜日の度に朝から電話で「今日は来れないの?」と、相手の生活など、全くの無視であり、ほとほと嫌になりました。
この後も姑とは色々とぶつかり、とうとう、夫の実家で義理母に声を荒げて言ってしまい、夫の実家とは疎遠となり、5年前義理父が亡くなり、葬儀のみ出席し、その時も私から会話しようと姑に話しかけましたが、殆ど無視され、これでもういいかなと自分でも割り切ることにし、今では完全に絶縁状態となってしまいました。
正直、私は今の状況で心安らいでいますし、夫も仲介役は嫌なようで、何も言いません。

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