厳しい母に対して理性を失いそうです

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厳しい母に対して理性を失いそうです

家庭でのトラブルというと、どんなことが思い浮かぶでしょうか。

家族間の問題、子供に関する様々なトラブル、介護の悩み等々多岐にわたります。

この中で、家の外で生じたトラブルが、家族全体を悩ませるトラブル(いじめ等)は深刻です。家族全体で当たらなければならない問題です。

ただ、ここでは、親子間のトラブルを、私の体験談でご紹介しようと思います。

私は一人っ子です。母が、私を大学に進学させるために、2人目をあきらめたそうです。

ここで既におかしいだろうと、現在の私は考えます。大学に行くことが、生命誕生より大切なのですから、神経を疑います。

しかし若かった私は、疑うことを知らず、母の言葉をそのまま受け入れていました。

私は素直でした。親の言うことを聞く子供でした。保育園、幼稚園、学校と問題を起こしたことはありません。成績も悪くありませんでした。

例えば、父方の伯父の家に行って、従兄弟という遊び相手がいない時に、母からテーブルの隣を指定され「ここに座っていなさい」と言われれば、ずっと黙って座っている少女でした。

そして、それができる自分が、私は少し誇らしく思っていました。大学生の頃、正月の挨拶で父方の祖母の家に、親戚で集まったときのことです。

私は既に大人でしたので、当然静かにしていましたが、小学生か中学生の従妹は、狭い家の中ではしゃいで遊んでいました。

帰宅後母が、「あの子達は、わがままに甘やかされているね」と、温かみのない声で評しました。

素直な私は、「そうか、あの子達はわがままなんだ」と少し得意になって思っていました。

今考えれば、自分の祖母の家で遊んで、何が悪いのでしょうか。特にあの従妹達は、生まれたときから何年も祖母と同居していたのです。

慣れ親しんだおばあちゃんの前で、飾らずにいるのは自然なことでしょう。

私は、苦痛を感じていても我慢して座っていることができました。母は、そんな娘に自分のしつけが行き届いていると、自画自賛していたと思います。

しかし、伯母たちにしてみれば、私はあまり可愛い少女ではなかったことでしょう。

現在の私から見て、苦痛を我慢してまで母親の言うとおりに長時間じっとしている子供など、気味が悪いか、哀れです。

私は優等生でした。優等生というのは、よほどでない限り自分を押し殺しています。我慢し、自分の希望や感情に蓋をします。

後年、育児にいそしんでいた私に母は何を思ったか、「私はあなたを、大事、大事に育ててきたからね」とのたまっていました。

その頃も素直で愚かだった私は、「母は私を大事にしてきてくれたんだ」と心で感謝していました。

ただし、本音では母の言葉に、違和感を感じていましたが・・。

母に対して馬鹿みたいに素直だった私から、今は脱皮しました。しかし、それで私の苦しみや悩みが、終わったわけではありません。

私の悩みは、コミュニケーション不全から始まりました。

他の皆がまるで息をするかのように、まだ打ち解けない相手に自然に接することが、私にはどうしてもできませんでした。

このことはトラウマになり、何年も私を悩ませました。

育児をするようになって、ある育児書で「子供はわがままを言える環境にあることが、とても重要である」という説が唱えてあり、衝撃を受けました。

この本で、私の根本的な問題を指摘されたと思いました。

ただ、確かにそれは根本的でしたが、そこからまだ、私は長い道のりをたどらなければなりませんでした。

心中で親への恨みを吐きながら、呪詛を唱えながら。もちろん、親に直接わめきちらしたこともあります。

親は何を言われているか、理解できなかったでしょう。今でも、娘が自分達を嫌い抜いていることは感じていますが、理由を本当のところ、わかっているとは思えません。

私に発露した問題その一。

自分の立つ足元が、まるで底なし沼のように不安定です。精神的に安定、安心して立っていられません。

その二。

自分であることの感覚が希薄です。具体的には私の場合は、人形のように感じていました。用事があるときだけ顧みられる人形。用事がなければ、部屋の隅に捨て置かれている人形です。

その三。

これは長く気付きませんでした。かなりの衝撃でした。それは、自分以外の人は、裏切る存在であるとの認識です。

常に裏切るわけでなくても、いつ裏切るかわからないという感覚です。これは、表面的な理解ではぬぐえない感覚なのです。

私は人見知りでした。人と打ち解けるのに、普通は一年かかります。裏切るかどうかの可能性を探っているのかもしれません。

恋愛に至っては、それこそいつ相手の心が変わるかもしれない、恋の初めでも、こちらの思いを受け取ってもらえないかもしれない。

これらの脅威は、私にとって「裏切り」なのだと思います。

さて、ながながと私の心の移りを述べてきましたが、具体的に考えられるトラブルについてです。

はっきり申し上げます。私は、両親、特に母に手をかける恐れがあります。

両親はかなり年を取りました。先日怒鳴りあいになった時、思わず母を押してしまいました。母の体は軽く、尻餅をついたのです。

爆発した怒りに、私は翻弄されていました。私は、母を「やれる」と思ったのです。さすがに理性が働きましたが、ハードルはかなり低くなっていました。

しばらくの間、私は、母に手をかけることのできる心理状態でした。何よりも、それに対して、大した罪悪感を覚えなかったのです。

ただ、私が犯罪者になっては、子供が悲惨になること、友人達がなんと思うか、それらを考えて実行しませんでした。

結果としては、現在距離を離して暮らしており、私は心理的に落ち着いた状態を保っています。

子供の心をないがしろにして、しつけが良かっただの、良い子に育っただの、手がかからなくて親孝行だっただの、軽々しく言葉にすべきではありません。

親は苦しまないでしょう。けれども、子供はずっと苦しむのです。そして悲劇が起こる可能性は、低くありません。

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