父が団地の組費を盗んだ為夜逃げしました。

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父が団地の組費を盗んだ為夜逃げしました。

私が初めて貧乏を体験したのは保育園の頃です。

私が生後間もない頃に父と母が離婚しました。その後、母に引き取られて母と兄と私の3人暮らしをしていました。 

私が4才の頃に母に彼氏が出来ました。

後に母はその男性と結婚をして義父となったのですが、幸せは続かず、義父のDVや借金が原因で、私が小学校3年生の時に母と兄と私で義父が仕事に行っている間を狙って荷物をまとめて家を逃げ出しました。

逃げた先は、逃げるのを手伝ってくれた、たまに家にも遊びに来ていた宅配のおいちゃんの家。

その宅配のおいちゃんこそ、私の本当の父でした。

母が逃げることを決意したのは、DVだけでは無く、義父の仕事がうまくいかなくなり家の電気やガスを止められた事が原因でした。

「こんな環境に子供達はいちゃいけない」と思った母は実の父に相談して、本当の父とお金を出し合って前もってアパートを契約していました。

母と兄と私は本当の父の元へ逃げたですが、そこでも幸せは続きませんでした。

本当の父と母は仲が悪く喧嘩が絶えませんでした。そして、母は家を出て行ってしまいました。

母は義父の元に戻り、兄と私と父の3人生活が始まりました。

最初は3人で仲良く暮らしていたのですが、父が会社の人間関係が原因で仕事を辞めて以来生活が一変。

元々アルコール中毒だった父の症状が悪化しました。

毎日飲んでは暴れるの繰り返しで、お金も底をつき、電気とガスが止められるのはもちろんこと、食べ物も近くの農産物直売所に売っている安い大根だけになってしまいました。

幸い水道は止められることは無く、水に困ることはありませんでしたが、ガスが止められているためお風呂にも入れず、電気も通っていないため真っ暗な中での生活が続きました。

私は、貧乏を同級生に知られないために学校では嘘をつき続けました。

≪旅行で海外に行った≫≪おこづかいは月に1万≫など、確実にばれる嘘をついていたため、今思えば同級生にはバレてたのではないかと思います。

たまに母と会っていた兄と私は母にもこの状況を伝えていました。その頃母は、義父とは別れた状態で新しいアパートに住んでいました。

アルコール中毒で毎日暴れていた父の元から逃げるために、私は母のアパートに身を寄せました。

兄は自宅に居たいということで、私だけが頻繁に母のアパートに泊まりに行っていました。

そして中学校の入学式の日の朝、制服姿だけでも父に見せようと思い一旦自宅に戻った私が目にしたのは血まみれの床でした。 

前日の夜父が暴れて鏡を割り、手首を切っていたのです。

電気の通っていない暗くて静かな部屋でぼーっと一点を見つめる父と、血まみれのたたみ。

とても不気味な空間でしゃべることが出来ませんでした。

「大丈夫?」と声をかけましたが無反応の父。私はそのまま入学式へと向かいました。

その日の事件はそれだけにとどまらず、入学式を見に来ていた母はもっと衝撃的な事実を知る事となりました。

同じく入学式を見に来ていた私の同級生の母親から「ちょっといいですか?」と声をかけられた母が知った事実は、父が団地の組費を盗んだ事でした。

当時団地に住んでいたのですが、組長は順番制で、組長になった人はその棟の組費を集めて、最後に管理人に渡すという流れでした。

そして父は、皆から集めた組費を使い込んでいたのです。その事を知った母はその場で謝罪。組費代全額を母が支払いました。

それから2ヵ月後、団地に住めなくなった私達一家は最低限の荷物だけ持って夜逃げしました。

夜逃げ先は母のアパート。母は実家に戻り、母が契約していたアパートに父と兄と私で住むことになりました。

その後父は再就職が見つかり、仕事を始めてからはアルコールで暴れる回数も減りました。

いまでもたまに、同級生の前で貧乏じゃないアピールやお金持ちアピールを繰り返していたことを思い出します。

私がいまでも見栄っ張りなところがあるのは、そのころの経験が関係しているのかなぁと思ったりします。

また、お酒やお酒を飲んでいる人が大嫌いなのもその頃の経験からくるものだろなぁと思っています。

いまでは私も結婚をして、お腹には赤ちゃんがいます。

父と母とは今でも会っており仲も良いのですが、「自分の子供は絶対にあんな目には合わせない」「両親と同じ過ちは絶対に繰り返さない」と自分自身に誓っています。

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