私の貧乏生活についての体験談です。
今もなお、生活が苦しいことには、変わりありませんが、2年ほど前に、家族6人その日に食べるものもままならないくらいにどん底になりました。
・最悪の母親
子供が4人にお腹に1人そして私たち夫婦で、その上同居の母がいました。
夫の母親です。もう、なんと言えばいいのか、とにかく最悪の母親で、仕事はしているもののとにかく全部がだらしないのです。
そんな母が私たちの貯金をまるで、自分のお金の様にすっからかんに使い込んだのです。
その内訳というと、同居する前に母親が住んでいた賃貸マンションの滞納家賃、電気代ガス代といった公共料金の支払い、マンションの修繕費用、携帯電話の滞納金、お寺に納骨しているための年会費滞納代金など。
すべて、滞納しているものの支払いでした。なんと、全部合わせて数百万円。
コツコツと少ないながらに貯蓄していたお金です。
そして夫も仕事で地方に行くことが多く、私は小さな子供とお腹に子供がいたので、銀行関係に出向くのが大変だったために、家の支払いも母親にお金を渡しての生活でした。
そして母親は、その時に住んでいた家の家賃までも滞納していました。
電気やガスなどは、止まらない程度に滞納しては払いを繰り返していたそうです。
とにかく夫に自分の滞納していることを知られたくはなかったと言っていました。
同居していることもあり手紙やはがきは、同じポストに投函されるのですべて局止めにしていたそうです。
ですが、内容証明が、裁判所から母親宛に来るようになり滞納の事実が分かりました。
住んでいる家の家賃も滞納しているというのです。
名義は、夫なので、大変だと思い夫が、滞納分の家賃を払いに行くことになり、銀行に行くと、お金は、なにも残ってなかったのです。
実際貯蓄していたのは、ほとんど子供が2人くらいの時であり、私も結婚するにあたり夫婦同じ口座に私のお金も一緒にしてしまったので私たち夫婦の貯金はすべてなくなってしまいました。
これは、3度目だそうです。
とにかくだらしがない母親で、夫の弟が私たちが結婚してからは一緒に生活していたのですが、同じことで家を出ました。
そして母親の給料だけでは生活が不安だからと相談があり同居に至りました。
夫は、カッとなるタイプで、手などは上げないものの言葉の言い回しがきついのでそれが怖いから言えなかったと。
そして、その時に住んでいる家の家賃は支払いをしなければなりませんし、その月の給料から、滞納分の家賃は全額支払いました。
・夫の母親との別居
ですが、今度は、私たちの生活費が底をつきます。
とにかく小さい子供もいましたが、納豆やふりかけ御飯にもやしと卵を炒めたものや、赤ちゃんのおしりふきも着れなくなった洋服を切って温かいお湯で温めて使いました。
子供たちのおやつは、ジャガイモを片栗粉でお餅にしたり小麦粉に砂糖を混ぜ薄く焼きクレープの皮もどきを開発し、食べていました。
そんな時、妊娠しているにも関わらず痩せた私を心配して、私の母親が、夫の母親との別居を提案してくれて、私たち夫婦と子供たちに家を用意してくれました。
退去費用や、新しい家の入居費用も私の母が支払ってくれました。
・まとめ
今もなお貯金はないのでとても貧乏ですが、その時の明日食べるもの、子供のパンパースも買えないときに比べると貧乏のうちには入らないのかもしれません。
私の母親も私が小さいときに死別しているので、とても大変だったと思いますが、ここまで貧乏生活ではなかったと認識しています。
もうこんな貧乏はこりごりですし、夫の母との同居も絶対にしたくありません。
あの人がいるときっとまた、貧乏生活を送らなきゃいけなくなるような気がしてなりません。